『君たちはどう生きるか』の鑑賞後感

作品の情報がほぼ外に出てこない宮崎駿作品『君たちはどう生きるか』を観てきました。その第一印象は、映像はさすがのジブリクオリテイで息を呑むものだったけどストーリーは正直何が言いたいのか何が良いのかまったくわからん、といったものでした。

 

映像に関しては上述の通りすばらしい(ぼくはIMAXで観たので音声もグッドでした)の一言なのでここで語るまでもなく、したがって内容についてのみ簡単に所感を。

 

ぼくの目にはこの映画は単純で平凡な冒険活劇ファンタジーに見えました。主人公が次から次へと現れる危機に立ち向かい乗り越えて行くことの連続で、そこにさしたる捻りもメッセージ性もあまり感じることなく、映像で押し切った作品だな、と。タイトルとストーリーとの関連性も、作中に小道具として同名の小説が出てきて主人公がその本を読んで涙する、ということ以外の接点を見出せませんでした。もっともこれはぼくが小説の方を読んでいないせいもあるかもしれません。

 

前作『風立ちぬ』で心を強く打たれ涙が止まらなかったぼくとしては、そこで一旦引退宣言をしたことを撤回してまで『君たちはどう生きるか』を数年かけて作り上げた宮崎駿監督の内なる思いや観るものに伝えたかったことが、ぼくにはうまく伝わらなかったようです。

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映画公開後にいくつか出てきている「解説記事」や関連情報を読んでみると、第一印象で受けた時よりは少し深くこの作品に入り込めた気がするのですが、それもそういった情報を与えられて「その気になっている」「わかった気がしている」だけかもしれないし、解釈として何が正しいのかは宮崎監督のみぞ知るって、話なので、結局のところ観る人それぞれがどう感じたかが一番大事なわけで、ぼくは、うーーん、よくわからない、といった感想を持ったということです。

 

これがジブリではない他の誰かの作品だったとしたら果たしてどういう反応だっだろうかと考えると、この映画の本質が見えてくるのかもしれません。(ジブリ宮崎駿以外にはこの作品は作れん!という評価も含めて)

 

何度か観返してみればまた違った何かが見えてくるのかもしれませんので、今日はこの辺で。

エアコンのフィルターはちゃんと掃除しましょう

10年弱使っているエアコンが居間におります。自動おそうじ機能がついているのでフィルターの掃除は一度もしてこなかったのですが、最近冷房の効きが弱くなってきてメーカーを呼んで調べてもらったら、どうやらフィルターに原因があったようで。ひと言で表現すれば、フィルターが詰まってた、ってことなのですが、おそうじ機能ちゃんと仕事してんの?と思いますよね、普通。

 

で、今回のケースでフィルターに詰まっていたのは埃というよりも油汚れ。我が家は居間の中にキッチンもある構造で(ま、比較的普通なことだと思いますが)、いくら換気扇回してても油分って部屋の空気に乗ってエアコンまで到達しちゃうんですね。で、フィルターを詰まらせてしまったというのが今回発生した不具合の理由。おそうじ機能機能はフィルター表面の埃はそれなりに拭き取ってくれるのですが、付着した油汚れには無力なようです。メーカーのひと曰く、フィルターが詰まってしまうと風量が落ちるだけでなく、温度センサーの誤感知(実際は冷えていないのに冷えていると勘違いする)にも作用してしまうことがあるとか。たしかに、通常では設定しないような低い温度にエアコンの温度設定をするとそれなりに冷たい風が出てきたりしていたので、そのあたりのセンサーの動作も不具合に影響していた模様。

 

ということでフィルターを普通に水洗いするのではなく、台所用の中性洗剤を使って使い古しの歯ブラシでゴシゴシして(あまり強くこするとフィルターを痛めてしまうので注意)目詰まりを除去。しっかりと水分を拭き取ったら元の位置にセットしてエアコンを再始動。すると見事に冷房機能が復活したではありませんか。

 

エアコンのフィルター掃除はロボット任せにせず、時々は台所洗剤で洗いましょう。

『日曜の夜ぐらいは…』がピカイチだった

今クールのドラマで一番光ってたのは日曜の夜に放映されていた『日曜の夜ぐらいは…』ですね。人生に息苦しさを感じている人たちへの希望というか清涼剤というか、あるいは明日への元気が湧いてくる、そんなドラマでした。

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アウトラインだけ描いてみれば、人生を楽しむことからは程遠い日々を送っていて幸せなを自ら遠ざけてしまうような苦しみばかりの日々を過ごしていた若者たちが、ありえないような幸運と偶然によって友と助け合うことの喜びや今日をひたむきに生きる楽しみ、そして何より「人生が楽しい」と思える生活を取り戻す、っていうちょっと大人向けの青春ドラマなのですが、オリジナル脚本のすばらしさと演出、そして演じているすべての役者さんのまるで本当にそこに生きているかのような演技に毎週引き込まれて観ていました。映像から醸し出される空気感も上級で、映画クオリティだなこれはと感動。

 

この作品は、「泣き笑い」とはよく言いますが、かなしい泣きではなくうれしい泣きを、可笑しい笑いではなくうれし泣きをもらえる、そう、一言で言えば、何かと「うれしい」物語なのです。

 

日々元気いっぱいエナジーバリバリな人には響かないかもしれないし、ドラマにおける伏線と回収に飢えてる視聴者にはまったく物足りないストーリーではありますが、現代の何か疲れた人々、モヤモヤを感じて生活している人、大小を問わずなんなかの不幸を背負って生きている人たち、そんな誰しもが感じているかもしれない現代の閉塞感にちょっと小さな穴を開けてくれる、開放の糸口をくれる、そんな心温まるドラマでした。

 

ラストシーンでの主人公岸田サチ(清野菜名)の以下のセリフがこのドラマにおいて象徴的でかつ印象的です。

 

「今、2023年=令和5年にこの世界に生きてる人は、みんな傷だらけで戦ってる戦士みたいなものだと私は思う。全ての戦士達の心に休息を。せめて日曜日の夜ぐらいは」、「皆が一度深呼吸できますように。でないと、戦えないよ…どうかよろしくお願いします。戦士代表岸田サチ」。

左トラックボールのススメ(その2)

ぼくは「左トラックボール派」です。マウスは使いません。右利きですがトラックボールをパソコンの左側に置いて使います。この使い方が自分にとってもっともしっくりくるし作業効率が良いと考えるからです。

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さて、肝心のトラックボールですが、ぼくはロジクールの「中央にボールが配置されている」モデル(冒頭写真にあるシルバーのやつ)を長年愛用してきました。左トラックボールするためにはボールは中央にいてくれないといけません。そんなロジクール製品をもう15年以上になるでしょうか、同じモデルを2回買い替えて、つまり3台(3代?)に渡って使ってきたわけです。その3代目にもぼちぼちガタがきまして、買い替えを検討していたのですが、なんとロジクールさんがぼくのお気に入りのトラックボールを廃番にしてしまったようで、新品の購入ができなくなってしまいました。

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というわけでトラックボール探しの旅に出たわけですが、結論から言いますと、選択肢は老舗ケンジントンしかないんですね、これが。中央トラックボールって、絶滅危惧種なのだということを思い知らされました。

 

ケンジントンて、基本でっかくて武骨でお値段の張るモデルが多くこれまでは手を出さずにいたのですが、他に選択肢がないとなれば致し方ありません。有線(USB)版が良かったので、その中から比較的すっきりしたデザインかつお値打ち価格のものをチョイスしました。

 

予想はしていたものの、ボールがでかいですねー。従来のロジクールのボールと比較してみるとその大きさの違いは歴然。1.5倍以上あるイメージです。このボールの大きさと転がしたときの感触、クリックの感覚に慣れるのに少し時間がかかりそうです。

 

ボタンは4つ装備されていて、専用のソフトを使って各ボタンの役割をカスタマイズできます。使用感に慣れてきたらいろいろ試してみようと思います。あとこのモデル、ボールを水平に回転させると画面スクロールができます。これまでは画面スクロールはパソコンのタッチパッドで右手の指二本を使って行ってきましたが、果たしてこのボール水平回転機能は使い物になるんでしょうか。こちらもしばらく試してみて慣れるかどうか、というところですね。

ダイバーシティ、イクイティ、インクルージョンの企業活動について

「ひと」の多様性や公平性そして各々の特性を生かしながら生き生きと働ける環境を提供する「ダイバーシティ、イクイティ、インクルージョン(頭文字をとってDEIとかDE&Iとか呼ばれます)」の活動にどれだけ本気で取り組んでいるかでその企業の働きやすさや「従業員幸福度」は大きく変わってくると思います。ぼくがこれまで勤務してきたどの企業にも、力の入れ方の強弱はあれ、DEIへの取り組みは見られましたが、個人的感覚で申し上げると、いまの勤務先のDEI活動がこれまでで一番「本気度」を感じています。その本気度というのは、その活動を推進するコアとなるメンバー(ほとんどのメンバーは本業のかたわらで活動するボランティアです)だけでなく、DEIというものが会社のDNAのひとつとして組み込まれている、つまり隅々の一般社員に至るまで浸透しているかどうかで測ることができます。我が社では、まさに、全社員の体の中に、DEI的なものが沁みわたっていることを強く感じるのです。

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ぼくは何も自社の自慢話をしたいわけではありません。ぼくがここで伝えたいのは、DEIに代表されるような個々人の意識の変革をともなう活動というのは、「一夜にしてならず」なわけで、長い時間をかけてだんだんと「自然なこと」として従業員の身についてくるものなので、この会社でもいまの状態に至るまでには相応な時間と労力が必要だったんだろうな、ということです。「DEI」と口に出したり「DEIやるぞ」と掛け声を上げることは誰にでもできますが、それを継続し、絶やさず、愚直に取り組むのは意外と難しいものです。活動そのものはボトムアップであっても、その活動をサポートする(=スポンサーとなる)のはトップダウンであるべきで、「上からと下からと」がしっかりと結びつき、かみ合った状態を作り上げることが求められます。「個人」「組織」「トップ」を貫く思想や文化を作り上げるのは骨の折れる作業ですが、前述した「従業員幸福度」を高めるためには欠かせない要素ですし、ひいてはその「従業員の幸福」をお客様やパートナー様そして社会へ還流させていく、そんな志を持っている会社ってすばらしいな、と思います。うちの会社も負けてないぞ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひお話を聞かせてください。そして語り合いましょう。

 

さて、今月、つまり6月は世界中が「Pride Month」です。「Pride」とは、LGBTQ+の理解を広める活動全般のこと。我が社の会社ロゴも今月だけはこの活動のテーマカラーであり、性の多様性を尊重する象徴である「レインボーカラー🌈」になっています。

 

そんな中、弊社内の有志が進めているDEI活動「VMinclusion」の分科会の一つにPRIDE POD(POD = Power Of Difference、個性の力とでも訳しましょうか)というものがあるのですが、 先日、このPOD主催の社内イベントが開かれました。今回のイベントでは、女性→男性に性適合手術をされ戸籍上も男性となり、ご結婚の後2人のお子様の父親となられた清水展人さん(しみず・ひろとさん、日本LGBT協会代表理事)を講師としてお迎えし、ご自身の体験談や「自分らしく生きること」の大切さと難しさ、それを受け入れる社会づくりの重要性を訴えていただきました。イベントへはオンサイト、オンライン双方から社長をはじめ多くの社員が参加し、熱心にお話に耳を傾けていました。清水さんからは自分らしく生きることができず苦しんでいる人への強いメッセージをいただきましたが、今後も彼の心の声を発信し続けていただきたいと思います。

 

 

 

今クールのドラマのキーワードは「ラジオ」

今クールに放映されているテレビドラマの個人的キーワードは「ラジオ」です。

 

まず、ぼくが小芝風花推しということから放映開始前から心待ちにしていたのが、ずばりラジオが主題の『波よ聞いてくれ』(テレビ朝日)。

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原作は漫画、テレビアニメ化されたこともある人気作品の実写版ドラマとなります。髪を金髪に染め上げた小芝風花が、ひょんなことから深夜ラジオのパーソナリティーを任され怒涛のマシンガントークを炸裂させるコメディータッチのドラマですが、毎度毎度彼女の活舌の良さに舌を巻いています。もちろん実際の撮影時にはNGを出すこともあるのでしょうけれど、あれだけのボリュームのセリフを噛まずに、かつ超スピードトークであるにもかかわらずはっきりと聞き取れる発声で押し切るのは、今の役者の中では彼女か満島ひかりくらいではなかろうか、と思うくらい、圧巻です。

 

トクサツガガガ』(2019年、NHK)でブレイクしちゃったおかげもあって、コミカルな役どころを任されることが多い小芝風花ですが、ぼくはシリアスな役もできる器用な役者さんだと思っています。これから年を重ねて、より幅広い役柄を演じていってほしい、個人的期待の星であります。ということで『波よ聞いてくれ』、必見です。

 

もうひとつ、あまり期待せずに観始めたのにすっかりはまってしまっているのが、『日曜の夜ぐらいは…』(TBS/朝日放送)です。3人の主演(清野菜名岸井ゆきの、生見愛瑠)による、友情物語になっています。

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こちらの話はまずどんより「暗い」空気から始まります。主演の3人はそれぞれ異なる境遇で暗く、寂しく、「笑顔」からほど遠い暮らしをしているのですが、そんな様子を見せられる第一話は正直「んー、この話、このまま笑顔なく進行しちゃうのかな」と心配になる内容でしたが、第二話で3人の「友情」の芽生えから暖かい風が吹きはじめ、一気に没入していってしまう展開に不覚にも号泣(第二話にして、ですよ。早すぎますよね)してしまいました。「いいことなんかないさ」と半ば人生をあきらめてしまっている3人を結びつける重要な役割を演じているのが「ラジオ」。3人が偶然出会った場が、とあるラジオ番組が企画したバスツアーだったのです。物語は中盤に差し掛かるところですが、ラジオが媒介となった3人の人生の結び目がこのあとどう変わっていくのか、目が離せないオリジナル脚本のドラマです。

 

このネットな時代に、「ラジオ」というオールドメディアが重要な役割を果たすドラマが同時期にふたつも放送されるとは、不思議なものです。

 

見逃してしまった人も、TVerなどでまだ追いつけますよ!

心と胃が癒される「とんかつ丸五」(秋葉原)

ぼくの最も愛するとんかつ屋とんかつ丸五」(秋葉原)へ実に3年3ヶ月ぶりに伺いました。パンデミックの影響でほぼ100%在宅勤務になったことから仕事帰りにお邪魔することもなくなり足が遠のいていたのです。それ以前は、最低でも月に一度はここのとんかつをいただいていたので、久しぶりに実家に帰る時のような気持ちで秋葉原を目指しました。

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久々に訪れたお店は以前と変わらず、ぼくの大好きな佇まいと香りとおもてなしで迎えてくれました。いつものように店の壁に沿った行列に並び、その後店内に通されると、顔馴染みの職人さんだけでなくはじめてお目にかかる職人さんもいらっしゃり、この3年余月の間に人の入れ替わりが少しあったようです。注文や配膳を仕切っていた男性も見当たらなかったな。どうしたんだろう。

 

席に着き、いつもの「ロースかつ定食」を注文すると、揚げ場を担当する職人さんに久しぶりの会釈をしました。あー、戻ってきたんだな、という気持ちに包まれた一瞬です。

 

ロースかつ定食は300円ほど値上がりし、テーブルの上からは付け合わせのらっきょう漬けがなくなっていたけれど、それ以外は以前とまったく変わりはありませんでした。心が落ち着く…

 

そう、この黄金色のロースかつがたまらなく好きなのです。心と胃が癒される、極厚なのにしっとりと柔らかい、やさしいとんかつです。言葉は要りません。黙っていただきます。

 

 

ゆっくり、じっくり、以前と変わらぬとんかつを味わった後は、食べ終わる直前の絶妙なタイミングで卓に置かれるジャスミン茶を飲みながら、しばし余韻に浸ります。このひとときが至福なのです。

 

店を出る前にあらためて店員の方々と笑顔で挨拶を交わし、今日の丸五さんとの暖かい時間は終わりました。また通いますよ。