外から中を見ていないと布教師にはなれない


その市場でメジャーな製品やサービスを提供しているベンダーが陥りやすい罠は、「自社製品を利用している顧客」と、それ以外の大多数を占める「見込み客」の違いに無感覚になってしまうことです。


ここに市場シェアが50%もあるような化け物製品があったとします。シェア50%ということはその市場の半分の企業(ひと)が製品を購入していることを意味しますが、逆な見方をすれば、市場の残り半分はその製品の価値を理解していないのですから、マーケティング活動においては言葉の選び方やトーンをよくよく考えなくてはいけないはずです。しかしながら、市場で強い会社ほどこの感覚がまひしてしまっている傾向がないでしょうか?


これは、宗教における教祖と布教師の役割分担に置き換えて考えることができます。


話す相手が顧客の場合は、ある程度教祖的な振る舞いをしてもよいでしょう。その製品を購入した顧客は、自分の判断が正しかったことを後押しする情報(教祖が説く教義の説明みたいなもの)には好意的でしょうし、「信ずる者は救われる」的なメッセージを強く発信すればするほど将来の不安も和らぐでしょう。しかしこれらは、「中から外を見る」態度です。自分たちはすごいという主張がその根拠の説明よりも勝ったコミュニケーションになり、他者の引用は常に我田引水です。


このような「中から外を見る」態度は、その製品を利用しない「外の」人間からすると、ときに不愉快なもの、ときに滑稽なものに映ります。ベンダー側は自社が強すぎるあまりそのことに気づきにくいのです。強者としての立場が維持できているうちはそのような態度でもいいのですが、不景気になったりその立ち位置があやしくなったときに簡単に切り替えられるものではないので注意が必要です。


だから、強者であっても「外から中」の視点が重要*1なのです。自分たちは外からどう見えるのか、どうしたら自分たちを理解してもらえるのか。これは布教師の視点です。布教師の仕事は、その宗教を知らない、あるいは信じない人々を迎え入れることです。当然、当該宗教の専門用語を使うなど論外ですし、すごいと叫ぶことよりもその理由説明に重点を置かなくてはいけません。ウェブにしろ、メルマガにしろ、セミナーやイベントにしろ、ビジネス活用のTwitterであっても、社外とのコミュニケーションにあたっては常に「外から中」の視点を忘れるべきではないでしょう。

*1:教祖が駄目だと言っているのではありません。教祖だけではだめ、と言っているのです