辛・ウルトラマン

Amazonプライムで配信が始まった『シン・ウルトラマン』を観ました。劇場には足を運べて いなかったのでこれが初シン・ウルトラマン体験です。

 

オリジナルが「怪獣(シン・ウルトラマンでは "禍威獣")対人類」、「侵略宇宙人対人類」という構図にウルトラマンが割って入って人類を救うという勧善懲悪ヒーロー物であるがゆえに「シン」化するのに苦労したことが伝わってきてしまう、結果として、制作メンバー自らが『シン・ゴジラ』の二番煎じをやらかしてしまった、というのが本作を見た第一印象でした。

 

シン・ゴジラでは、自然というか地球というか、私たち人類が搾取し破壊し濫用してきたものたちの怒りがゴジラという無敵の大怪獣に形を変え、その圧倒的な力を持って人類を恐怖のどん底に突き落とすという、様々な警鐘が鳴り響く作品と感じていました。その絶望感や無力感のリアリティたるや、スピルバーグの『宇宙戦争』に通ずるものがありましたが、最終的には人類の叡智を持ってなんとかその進行を食い止め、人類滅亡は避けられた格好でストーリーは終焉を迎えたのですが、そのメッセージ性が後を引く秀作でありました。

 

一方のシン・ウルトラマンではシン・ゴジラで伝わってきたようなメッセージ性は感じられず、オリジナルのウルトラマンへのリスペクトを「シン風」に焼き直した感が否めません。ここが冒頭に書いた「オリジナルがヒーロー物であるため」致し方かないとろこであると理解しつつも、「シン」を背負った作品として自身の勝手な期待を交えて鑑賞してみると、なんとも言えない中途半端感だけが残ってしまうのです。尺の関係で省かざるを得なかったのかもしれませんが、ウルトラマンが地球にやって来る以前の禍威獣と人類の戦いの様や、政府や官僚のドタバタ、科特隊編成の経緯やその活躍を(フラッシュでさらっと済ますのではなく)前半できっちり描いていたならば、ここまでの二番煎じ感を持つことはなく、しっかり作り込んだ「21世紀版」のウルトラマンの物語が完成していたかもしれません。

 

物語中盤から登場する各種「外星人」たちの現代風デザインは悪くなかったです。ザラブやメフィラスは格好良かったしゼットンの造形もなかなか荘厳で思わず唸りました。でも結局、物語そのものに目を向けてみると、「なんだかんだで全部ウルトラマンがやっつけてくれた」話になってしまっており、骨格は単なるヒーローものから抜け出せていなかった、という仕上がりだったと思います。そこが、この作品にシン・ゴジラほどの「厚み」を感じられない要因ではないかと考えています。せめて、ゴジラに感じた神々しさのようなものを今回のウルトラマンでもっと強く表現していたならば、印象は違ったものになっていたかもしれません。

 

余談ですが、シン・ウルトラマンを観て以降、山本耕史がメフィラスに見えて仕方ありません。『鎌倉殿と13人』を観ていても、あ、メフィラス、、、となってしまいます。それだけ優れた配役と山本氏の迫真の演技だったのでしょう。どうしよう、これ、しばらく抜け出せそうになくて困るんですけど。