プルートウ、アトム、ピノキオと手塚治虫さんの記憶


いま、「プルートウ」(浦沢直樹・著)を単行本で読んでいます。漫画は嫌いではないですが、週刊・月刊誌を購入するほどではなく、気に入った作品を単行本で集中して読むことを好みます。ややミーハーかもしれませんが、小学生のころ読んだ「ブラック・ジャック」には心の底から感動を覚え、そのころからヒューマンな物語に強く惹かれるようになりました。

プルートウ」は手塚治虫さんによる「鉄腕アトム」(より厳密には「地上最大のロボット」)をリメイクしたヒューマンなロボット物語で、もともと知人の勧めで読み始めたのですが、最近刊行された第四巻でじわじわと盛り上がりを見せはじめています。先日のエントリーで、はじめの1〜2割で作品の面白さは決定するという意味のことを書きましたが、「プルートウ」にかんしてはこの私の常識を打ち破ってくれそうです。正直、始めのほうは引き込まれるものがありませんでした。各エピソードのつながりがいまひとつしっくりこず、うまく言えないのですが、こう、物語の展開が隙間だらけで、かといってスピード感もイマイチだったような気がします。ところがアトムとプルートウの対決が近づくにつれ(第四巻では実際に対決します)徐々にいい展開になってきました。現在もビッグコミックオリジナルで連載中(不定期??)ですが、上述のように私は単行本で読むスタイルなので次の展開を見るまでまた数ヶ月待たされることになります。


話は少し変わりますが、スピルバーグによる「A.I.」。この映画、好き嫌いは別として映画としてすごい作品だなと思っています。同作品は「ピノキオ」をモチーフとした物語で、キューブリックが志半ばで作品化できなかったものをスピルバーグが引き継いで完成させたものですが、愛とは何か、とりわけ親子の愛について、きわめてストレートに映像化した作品です。「ストレートに」と言ったのは、理屈で説明できないある種の感動を覚えたということです。人間の心のどこかに直接的に作用しているという点では、タイプはまったく異なりますがデイビッド・リンチ作品との共通点を感じます。


さて、なぜ「A.I.」をここで持ち出したかというと、同作品の映像や物語の背景、そして後半で一足飛びに時間を超越しちゃうところなどに手塚スピリットが重なったからです。時間の超越という意味で手塚さんの「火の鳥」はすばらしい作品ですが、もし手塚さんがご存命でスピルバーグとコラボレーションできたならば、「A.I.」はもっともっとすばらしい作品になっていたことと思います。(なお「A.I.」では、最初の15分ほどで涙が流れ以後泣き通しでした(笑))