『ルリボシカミキリの青』とセンス・オブ・ワンダー


生物と無生物のあいだ』で有名な生物学者福岡伸一氏のエッセイ集*1ルリボシカミキリの青』、非常によい本でした。


福岡作品を楽しいと思えるかどうかは、彼の著作にしつこく登場する「動的平衡」という考え方に素直に感動できるかどうかが分かれ目のような気がします。詳しくは『生物と無生物…』などを読んでいただきたいのですが、この『ルリボシカミキリの青』でもキーワードとして動的平衡がそこかしこに顔を出します。そういう意味で、この本を彼の著作の「飛ばし読み本」として読まれるのもいいかもしれません。


さて本題。この本はエッセイであり、彼の身の回りのこと、社会で起きていること、子ども時代のこと、などが生物学者という目を通してどう見えているかを彼流の華麗な文体で書きあげたものです。その底流にあるのは「センス・オブ・ワンダー」。子どものころに強くひかれたもの、気になって気になってしかたのないもの、どこまでも追い求めていきたいもの、そういったものに感じる、もしかすると大人になるにつれれてぼくたちが失ってしまっているかもしれない感覚、、、そんなセンス・オブ・ワンダーを持ち続けることの大切さが本全体を通じてメッセージされています。


大半のエピソードが3ページ以内で完結しておりシンプルかつ平易、どなたでもスイスイ読めると思います。福岡氏特有の、見方によっては大げさで文学的?な表現も今回は抑え気味なので、そういう先入観がある方も安心してお読みいただけます(笑) 惜しむらくは、エピソードごとに写真が添えられていればなお良かったなあ、そんな本です。


以下、ぼくが気に入ったエピソードの一部(カコミは本文からの引用です)をご紹介します。この中でひとつでも興味をひくものがあれば、書店で手に取るのもいいかもしれません。


謎の物質の物語
DNAの二重らせん構造の不思議について。この「二重」ってところが奇跡的であり重要。後半では、生命にはもともとメスしかいなかったわけでオスは「作られた」存在であることに触れます。後半の話は同氏の『できそこないの男たち』に詳しく載っています。(この本もおもしろい)


少年ハカセの新種発見
昆虫が大好きだった幼少時代、見慣れない虫を捕まえた福岡少年が「お、これ新種では?!」と国立科学博物館へ走る話。そこで通されたのは、普段目にすることのない博物館の裏側。結局その虫は新種じゃなかったのですが、その時少年は以下のことを発見します。

その日、私はもっと大きな発見をした。こんな生き方があるということを知ったのだった。


狂牛病は終わっていない
狂牛病は人災である。したがって無機質にBSEなどと呼ばす"狂牛病"(人間が牛を狂わせた、という反省も込めて)と呼ぶべき」という福岡氏の持論のエッセンスが詰まっています。彼は、「牛の全頭検査は不要」という考えに異を唱える立場の学者です。詳しくは『もう牛を食べても大丈夫か』に書かれていますが、狂牛病を生んだのは人間のエゴであるという主張について語られています。


コラーゲンの正体
コラーゲンなんて食べても生物学的には意味ないよ、という解説が淡々と続く「夢をぶち壊す」話(笑) ただ、福岡氏のいいところはまったく意味がないとまでは言い切ってないところ。一種のホメオパシー


天才は遺伝するか?
しません、というのが結論。「キリンの首はなぜ長いか?」「高いところにある葉っぱが食べたくて、だんだん伸びたのさ」→これもウソ、という話。生物の進化と突然変異について。


1Q84』と生物学者
ぼくは『1Q84』を読んでいないので、このエピソードは読み飛ばしました(笑)。がおそらく、同書を読んだ人には興味深い、生物学者としての考察が書かれてるはずです。


活字の未来
福岡氏から見た「書き手」「編集者」「校正者」のチームワーク、努力の価値について語っています。「電子書籍元年」などと言われる昨今ですが、媒体が電子になったときに必要がなくなるもの、逆にその重要性が増すものについて示唆に富むエピソードです。


紙をめくる感覚
キンドルを使った感想について書かれています。「コンテンツがページ単位に区切られている」(パソコンのようにスクロールしない)ことの意義について考察を重ねていますが、最後には、でもこれって旧世代人間の視点なんだよな、という柔軟な感覚が表明されており、思わずうなります。


1970年のノスタルジー

なつかしさの正体は、モノやコト自体にあるというよりも、その時の自分がなつかしいのである。つまり、なつかしさの正体は、一種の自己愛なのだ。

うーん、なるほど。ちなみに話の題材として引用されたのが、なんとクレヨンしんちゃんの映画『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。


霧にかすむサミット
題材は抗生物質抗生物質と耐性菌の終わることのない「いたちごっこ」のむなしさと地球環境を守るということの意味〜「環境の有限性を自覚しながら環境の循環性を妨げないということ」について語り、最後にルネ・デュポスという学者の以下の有名な言葉で締めています。『Think globally, act locally.』


臓器移植法改正への危惧
福岡氏は脳死に対してきわめて慎重な立場をとっています。関連して、臓器移植というのは動的平衡の考えから見れば明らかに無茶なことをしている、ということについて語っています。短いですが、強いメッセージがこめられたエピソードです。


ルリボシカミキリの青
福岡氏の「センス・オブ・ワンダー」について。あこがれのルリボシカミキリとその青さの謎を通じて目覚めた、自分のなすべきことについて。

おそらく私がすべきなのは、問いに答えることではなく、それを言祝ぐ(ことほぐ)ことなのかもしれない。


この本を読み終えて、センス・オブ・ワンダーって愛なんだな、と思いました。それは、身の回りから世界中の様々なものまで、関心と好奇心を持って関わっていくことなのだと。これって何だろう、なぜこうなんだろう、どうしたら関われるか、どうやったら他人へ伝わるだろう…。「自分さえよければ」とは対極の姿、つまり愛なんじゃないかとね。


以下、参考リンク(過去エントリー)


(注) 学問で定説とされるもの、あるいは福岡氏が持論としているもの、どれも確かなものなんてありません。信じる信じないは個人の勝手です。福岡氏の著作を紹介しているのもぼくが彼を信じてその「教え」を広めるためではなく、そういう説や意見があるということを知っていると世界との関わり方に広がりが出るのでおすすめします、というスタンスです。

ルリボシカミキリの青

ルリボシカミキリの青

*1:週刊文春の連載をまとめたもの