スター・ウォーズ完結かぁ!

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映画を観るすべての人類の義務と思われる『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の鑑賞。観終わったときの第一印象は、多くの方が感じたであろう、「ああ、おわったぁーー!」という、晴れ晴れしさと物悲しさの混じり合ったものでした。

 

レイはエピソード7で登場した時からずっと強くかっこよくて魅力的だったし、レンは己の弱さと常に戦い続けて最後に自分らしさを見つけたようだし、レイアはいつも全てを見通していて、ルークは自らの役割を何とか果たし、ハンはようやく息子と心が通った。とまあ、そういうことで、良かったのではないでしょうか!

 

エピソード6までのヒューマンタッチと戦争アクションとの見事なバランスは、最後の三部作では後者寄りが続いていた気がして「スター・ウォーズ」としては個人的には今ひとつだったけど、このエピソード9はやや、ヒューマンを感じる部分があったかな。

 

小学6年生のときに、いまの有楽町マリオンの場所にあった日劇(日本劇場)でシリーズ一作目に感動してから四十余年、ようやくの完結です。それだけ長い期間、楽しみを与え続けてくれたシリーズの最終話、感動と感激のエピソード9であります。

 

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シリーズ全体を振り返ってみると、ストーリーの軸であり山場はやはり、ダース・ベイダー親子がメインキャストだったエピソード4〜6でしたね。そういう意味で、エピソード4〜6の背景(ダース・ベイダーとその双子の子供の誕生)を描く役割を担うエピソード1〜3より後半三部作であるエピソード7〜9の方が作る方は苦労したと思います。エピソード7〜9は、ファンのために『スター・ウォーズ』の世界をスクリーンの中に再現し、三つの連作によってその世界観の「余韻」を味あわせてくれたもの、と受け止めています。後半三部作で残念だったのは、エピソード3がダース・ベイダーの誕生を描いたのと同様「カイロ・レンという人物がどのようにして生まれたのか」の説明が欠けていたり、レイの生い立ちに関する「とても重要な事実」についての伏線がほとんどないまま彼女を単なる主役としてしか描いていなかったことです。そこが、ヒューマンより戦争に偏った作品になってしまった理由でしょう。

 

最後に、私の勝手なスターウォーズ観を書いておきます。(以前のブログからの引用)

スター・ウォーズが他の映画と違うとぼくが勝手に考えている要素は、「あくまで登場人物に焦点」をあて「銀河宇宙という壮大な時空を超えて展開」していく「ストーリーテリング」のダイナミックさです。愛と憎悪、善と悪、敵と味方、親子の絆と自立、などといった人の内面で対立するものについて、 偏らず流さずじっくりと描き、その深遠さや複雑さ不条理さを象徴するものとして宇宙と戦争という舞台を置いたのがスター・ウォーズという名の交響曲

koichi.hatenablog.com

 

 

とはいえ、十分に楽しんだ全9作。すばらしかった!