鎌倉殿とエルピスで描かれていたもの

今回のブログは、「『鎌倉殿の13人』とは何だったのか “死”にドラマを見出した三谷幸喜の構成力」というネット記事にぶら下がったとあるヤフコメにインスパイアされて書いてます。「鎌倉殿」と「エルピス」の共通点に言及してたので。

www.nhk.or.jp

www.ktv.jp

 

某氏コメント曰く、どちらの作品も権力の非情さ、理不尽さを描いたものであり、視点は違えど「権力に翻弄される」主人公を描いている点で共通のテーマが見える、というのです。なるほどな、と。

 

「鎌倉殿」は、言わずもがなですが、主人公北条義時が権力側の立場としてダークサイドへ落ちていく様を描き、「エルピス」はメディア側が権力に抗う姿を映像で表現していました。どちらの作品が語る「権力」もある種絶対のものであり、理屈の通らない世界が存在することをあらわし、視聴者に混乱と困惑を引き起こし、時には思考停止を強要する場面がいくつも見られました。

 

ぼくたちは21世紀に生きていますので、鎌倉時代とは世の中がまるで違います。そういう意味では、「権力の非情さ、理不尽さ」をより身近に、リアルに描いていたのは「エルピス」だと思うのですが、これはちょっとネタバレですが、エルピスの主人公は最後は権力との妥協を一旦は選びます(このドラマで描かれる権力とは、政治と警察。物語では政治とは一旦停戦にして警察への抵抗を選びます)。その妥協でさえも勝ち取るのは並々ならぬ努力と戦いと葛藤の末の成果物であり、一歩間違えれば権力に消されてしまいかねない危ういラインを綱渡りしながら獲得したひとつのハッピーエンドなわけです。先に「一旦は妥協を選んだ」と書きましたが、この物語は(ドラマとしては)完成しましたがその中に生きていた登場人物たちのストーリーはまだ終わってはおらず、権力との戦いに関する物語の余韻を残す絶妙なエンディングになっており、ぼくの心の中では彼ら・彼女らはまだ戦いを続けています。(続けていてほしいと思っています)

 

絶妙なエンディングといえば前出の「鎌倉殿」の幕引きは秀逸でしたね。映像(編集)としてもストーリーの締めくくり方としても、ダークサイドに落ちた義時に愛ゆえに引導を渡すのが姉の政子というあたりが、スター・ウォーズ(エピソード3)でのアナキンとその師匠であるオビ・ワンとの関係性にオーバーラップして、非常に味わい深いです。涙無くしては語れない物語となりました。

 

以上、ふたつの傑作ドラマの感想文でした。