『ビリギャル』を観てきた。映画にはもったいないと思った。


普段は無愛想な息子が『ビリギャル』を同級生と観て帰ってくるなり「自分はすごく楽しめた」と言い「また観に行きたい」とまで絶賛しまくっているので、この映画には少なからず興味を持っていました。息子はいま高3なので、この映画で描かれる主人公と同い年ということになります。


映画をヒットさせるという意味では、タイトルのつけ方に始まって偏差値がいくつ上がったとか「慶応」というリアルな大学名を使ったりといった作戦は功を奏しているように思いますが、そんな姑息な釣り文句とは裏腹に、作品そのものは実直によくできていまして、2時間もの上映時間はあっという間でした。最低三回くらいは泣いたかな。


『ビリギャル』は、ビリなギャルがいかにして慶応に現役合格したか?というサクセスストーリーでも、奇跡を描いた映画でも、ありません。なぜ彼女の学力が劇的に向上したかに直接的に答えるテクニカルな話もほとんど出てきませんし、そもそも志望校の選び方があまりにも軽く、主人公にとって目標とする大学が慶應義塾である必然はまったくない割に映画の中で「慶應」「慶應」を連呼していてちょっと辟易します。(注: 原作は読んでませんので、あくまでこの作品(映画)に対しての感想です)


ですが。


「まさかの大学受験に成功!」とか「驚くほど偏差値上げた!」といった宣伝文句は背景(風景)でしかなく、この映画は、大学受験を通じてそれを取り囲む人々が何を感じ体験し挫折し成長していったのかを描いた物語なのです。とにかく、主人公だけでなく登場人物がみな主役としてスクリーンの中で生きているのです。これは俳優さんが上手だったというだけでなく、シナリオとか映像とか編集とか音楽とか、そういった映画作品全体としてのクオリティーが高かったんだと思います。もちろん主人公の家族が中心ではあるものの、学校という「環境」や「先生」、「親友」、「塾講師」や「塾仲間」、そんな登場人物全てにそれぞれのドラマがあって、大学受験という共通の壁、主人公にとっては越えることが相当に困難と思われる壁に対して、各々がいろんな形で関わり挑戦していく、そんな個々人の物語がリアルに描かれています。


は自分の夢を長男に託す、その夢に押しつぶされそうになる息子、一度決めた大学受験にくじけそうになった時にそんな弟を見て奮い立つ(主人公)、子供達の可能性を潰さないために自分にできるあらゆる愛情と献身を続ける、大切な友人のために楽しい高校生活の最後の一年をどう過ごすべきか悩む親友、生徒とまっすぐに向き合い子供の本当の力を信じる塾講師、そんな塾講師に心の扉をそっと開かれさらに主人公にぐいぐい引っ張られていく親への復讐をモチベーションにする男子高校生…。全ての登場人物に彼/彼女らの人生があり、それが『ビリギャル』の中にぎゅっと詰まっています。


だからこそ惜しいなあと感じたのは、これ、一本の映画に収めちゃうのはもったいないでしょう、という思い。これだけたくさんの「物語」があるのだから、たとえば1クール分くらいの連続テレビドラマにして、週ごとにそれぞれの「主人公」に視点を合わせたつくりにしてもいいんじゃないかなあと思いました。


中学生にはちょっと難しいかもしれないけど、高校生以上の男子女子、そういったお子さんを持つご両親には、まず第一にお勧めしたい映画です。もちろん、それ以外の方にもそれぞれの楽しみ方がある映画だと思っています。


自我に目覚め、多感で傷つきやすい年頃に迎える受験て、もちろん本人が一番苦しいんだけど、関係する人々全員も主人公なんだよなあ、と感慨深いのでありました。