『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を読むと時代がひとつ進んだなと感じる


2ちゃんねるを捨てた理由」は数行でおしまい。しかも「捨てた」わけでもないので、このタイトルはあまりに釣りが過ぎる。まあ、そこは大人の事情のようですからガタガタ言わないでおくとして、内容としては「ひろゆき語録」。思いついたことを口頭筆記した、俺様の話を聞け本であります。だから、彼を好きな人は読めば痛快だろうし、そうでない人にとっては (上述のようにタイトルに関する話はほとんどないので) 取り立てて読むまでもない本でしょう。


この本を通じて感じることは、ひろゆき氏は「デジタル化前」世代の人間なのだろうなあ、ということ。思い起こせば、日本では1976年あたりがデジタル世代前後の境目だったのではないか、って誰かが言っていたような気がするのですが、この本を一貫して流れるのが、Web 2.0 でネットが一瞬ザワザワしたくらいの時期の少し前くらいのタイミングで時代への対応をやめてしまったんではないだろうかと思わせる、氏の「斜な構え」。(ひろゆき氏は 1976 年生まれ)  彼は、人々が変化だと感じているものに対して常に「いままでと何が違うのか (何も違わないではないか)」ということを証明するために斜に構えロジックを労する。変化なのかもしれないという可能性を感じるより前に、変化などないという結論をまず置いてしまってから物事を見つめるという悲観性があるのですね。この本を読んでいると、何と言うか、時代が次へ行っちゃったんだな、ということを感じます。(ぼくもデジタル化前な人間ですが)


梅田望夫さんの言葉を借りれば(笑)、「残念」と感じたのがとりわけクラウドコンピューティングについて語っているところ。ひろゆき氏は、クラウドWeb 2.0 といっしょくたにしてバズワードであると切り捨ててしまうんですね。技術的に圧倒的なイノベーションがあるとは思えないとか、ASP と変わんないじゃんとか、とにかく「何も新しくないし、みな名前に踊らされている」と言うのです。こういった意見にぼくが違和感を覚えるのは、「クラウドとは何か」という定義にこだわりすぎる点です。ぼくは、クラウドという呼称は、それを売り物にしたい側の人間が特定の「何か」につけた名前ではなく、過去の視点からはうまく捉えきれない世の中の動きをそう呼ぶしかなかった、"uncategorized" な、「〜症候群」みたいなものだと思っているのです。だから、「クラウドとはこれだ」と限定してから進められる議論にはあまり興味が持てないし、そういう話は本質をつかめていないと考えています。


僕が2ちゃんねるを捨てた理由 (扶桑社新書 54)

僕が2ちゃんねるを捨てた理由 (扶桑社新書 54)