日本のオードリー・タンはどこにいる ~ 『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』

f:id:saitokoichi:20210425182344p:plain

「台湾のデジタル大臣」を取り上げた記事を以前書きましたが、その時の「大臣」ことオードリー・タン氏の日本向けの本が刊行されておりましたので、読んでみました。

koichi.hatenablog.com

 

著者のオードリー・タン氏は高いIQ、中学中退でトランスジェンダーであるという「外見」に注目が集まりがちですが、この本を読むとそんな外見のことはすぐに忘れてしまって、非常に純粋に、的確に、デジタルとの向き合い方、付き合い方、そして活用の仕方について、わかっているつもりでもつい忘れてしまいがちな事柄への意見を訥々と述べているところに心地よさを感じます。

 

デジタルの活用によって台湾での新型コロナウイルス感染拡大を最小限の影響に抑えたプロセスやアプローチについては参考になること多数、AIとの共栄・共存についての考え方もとんがったことを言っているわけではないのですが、納得感のある言葉が並んでおり希望ある未来が見えてきます。ただ、その希望を現実のものとして実現するのも人間であるならば、希望を壊してしまうのもまた人間自身なわけで、そういう意味でもテクノロジーやデジタルはあくまで道具に過ぎないという、ある種誰もが当たり前と考えていることを再認識させられる本です。ここ、とても需要で、当たり前と思っていることを当たり前に実行することの難しさを私たちに突き付けてくるのもまた、この本の果たす大切な役回りだと思います。

 

氏の視点は常に俯瞰的です。手元にあるデジタルをどう活用すべきかの方法論や優先順位の付け方は、常に組織、社会、国家、そして地球レベルで、対応すべき事柄をとらえ、氏なりの視点を本書を通じて共有してくれます。氏の立脚点は「公共性」なんですね。デジタルの政治、行政への活用という、今後極めて重要な局面を迎えていく関係性についても、信頼性(国民と政府の相互信頼)や透明性(あらゆる議論、プロセスが国民に共有されていること)が肝要であるという点の説明にあたっても、常に俯瞰的な態度を持ってその説明にあたっています。日本人の私たちからすると耳が痛すぎて腫れがりそうな話が、台湾においては現実に実践されてきているということの国民性のすばらしさや氏のリーダーシップがよく伝わってきます。

 

テクノロジーとアートの関係についても相応なページ数を割いて語っています。以前、山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本を読みました。山口氏の本はビジネスとアートの関係性についての考察でしたが、オードリー・タン氏は「STEM: 科学(Science)、テクノロジー(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)」にアート(Art)を加えた「STEAM」を教育していくことの重要性を提唱します。最近では、デザインのDを加えて「STEAM+D」とも呼ぶようですが、アートやデザインといった要素を教育の中に浸透させ私たちの思考の奥深くに根付かせることの大切さを私たちは知るべきである、という点も、本書を読めば見えてきます。

 

デジタルと人間のすばらしき未来を願って。

  

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る