無敵の人、ビル・ゲイツ

 

ビル・ゲイツの慧眼とその生き様(ちと大げさ?)について論評した記事がITmediaに掲載されていました。IT業界人のみならずすべての人に一読いただきたい記事です。

www.itmedia.co.jp

 

「先を見通す力」が飛びぬけており、かつ、誤りに気付いた時の修正力とその速さ、そして莫大な富を得た後はその慧眼をもってこの地球が抱える問題の解決に自身の頭と財力をもって立ち向かっていく、そんな人物像が描かれています。

 

 

ぼくもかつては、そう、1990年代のころかな、当時のマイクロソフトを悪の帝国と呼びビル・ゲイツを悪の帝王と考えていた時期がありました。そんなぼくが今はそのマイクロソフトで勤務しているというのは皮肉というか不思議なことではありますが、彼に関する様々な書籍を通じてわかったのは、そんな彼の行動原理は異常なまでの「(いつかやられてしまうという)恐怖心」が根源にあり、「外敵」から自身やマイクロソフトを守りたいという一心で徹底的に戦ってきた結果、その「戦い方」に問題があって、さんざん叩かれたり世間から悪の代表格という不名誉な評価をされてしまった、ということです。ビル・ゲイツが一線から退き、スティーブ・バルマーマイクロソフトを率いていたころまでは、まだ「悪の帝国」の余韻が残っていましたが、現在のCEOであるサティア・ナデラがその任についてからは、マイクロソフトは劇的に変わっていきました。もちろん、良い方へ、です。ただ、ナデラが取り組んでいる変化や戦略は元をたどるとビル・ゲイツの見通していた世界が現実化していくことに沿ったものであるように感じ、彼の慧眼を証明することに一役買っているかのようです。

 

最後にこの記事の印象的な部分を引用して、今日のぼくのメモはおしまいです。

ここまで長々とゲイツ氏を取材してきた過去の記憶を掘り返したのは、ゲイツ氏のアプローチが個人的な感想や感覚、あるいは“将来こうなってほしい”という願望、あるいはその反対の悲観からくるものではなく、極めて論理的であることを感じて欲しかったからだ。

どのような話に耳を傾けるかは、最終的には自分自身が決めることだ。

しかしひとつだけ書いておきたいのは、ゲイツ氏はある意味、“無敵の人”ということである。無敵の人とは、昨今の世相で社会から見放され、忘れ去られ、失うもののない人が、社会的制約やモラル意識に遮られることなく自由に発言している様子を本来は示しているが、ここでの意味はもちろん違う。

貧困と公衆衛生の問題に20年以上取り組み、200億ドルの私財を寄付し、最終的には自分が保有するほとんどの財産を寄付しようというゲイツ氏の潔癖性は、このパンデミックをめぐるさまざまな陰謀論を無効化する“無敵の人”と言えないだろうか。