『シン・ウルトラマン』、早く観ないと

ニューズウィーク日本語版に独自の視点の評論があったので、ますます気になる『シン・ウルトラマン』。ぼくはすっかり勘違いしていたのですが監督は庵野さんではなかったのですね。

 

この記事では、「観るべきか否か」で言えばぜひ劇場に足を運ぶべきと論をまとめているものの、記事タイトル通りその紙面の大半を「的中した不安」に関する筆者の視点と考えに使っています。若干のネタバレも含まれますが、映画をすでに観た人も観てない人も、この映画に興味ある方は是非読んでみてください。筆者の指摘する「唐突感」がいかほどに感じるか、人によって意見は異なるんじゃないかと思います。

 

筆者の指摘は、SFに限らず、あらゆる映画やテレビドラマ(時には漫画やアニメ、さらには小説さえも)でも当てはめられるもので、一言でいえば「説明不足」がその映画全体の中でどのくらいの大きさを持っているかによって観る人の感想が変わってくるものです。「そんなこと気にするほどではない」なのか「気になって気になって観ていて気持ち悪い」のかは個人の感覚です。奇しくもぼくは以前のブログであるSF映画についてその「科学的根拠の納得感」について以下のように書いていました。

koichi.hatenablog.com

 

SFものは筋書きや各シーンの作りに対して「科学的根拠の納得感」がどの程度かでその作品へのめりこめるか興ざめしちゃうかが分かれます。これ、あくまで「納得感」という感覚的なものなので、正確性・厳密性とか専門家が見てどう評価するかなんてことはさほど重要ではなくて、作品で描かれる「現実離れした描写」についてある程度「大衆離れしない説明」を試みてさえいればいいのです。

 

このブログは大ヒットした「君の名は。」を観た後に感じたことをつづったものでして、SF的要素を含む映画の設定説明がどれだけ「納得感」があるかどうか、という感覚的なものについて記述したものです。今回のシンウルトラマンについての論評は、筆者にとっては登場人物の「居場所」や「移動手段や時間の考慮」をはじめとする、ちょっとした説明をはさんでおけば何の違和感もなく見られるものをそれがことごとく省かれているため結果として映画全体を通して考えた時に「唐突感」が気になって気になって仕方がなかった、ということのようです。

 

さて、すでにご覧になった方はどうお感じになられたでしょうか。ぼくも早く観に行かないと。