『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』へのネガティブコメントについて

興行収入もさることながら、世紀を超えてこれほどまでに注目され話題となっている映画シリーズが歴史上あっただろうか、というくらい『スター・ウォーズ』は偉大な存在だと思っています。個人的にも大好きな映画です。その最新作である『フォースの覚醒』は公開直後から賛否両論渦巻いていていましたが、仕事としてあるいは本格的に論評している人を除けば、ぼくを含む大半の観客による映画の評価なんて究極的には好みの問題と言えなくもないので、ネガティブコメントを述べる方は事前にスター・ウォーズとの関わりについて表明しておくとポジティブ派とも話が噛み合うのではないかしら。


たとえば、

  1. 初見だったのか(=前提知識や思い入れはナシ)
  2. 見たことはあったのか(=前提知識はあったり薄かったり。思い入れはナシ)
  3. ファンだったのか(=自分なりの勝手な「期待」を持っていた)

くらいは明らかにしておくとか。ちなみにぼくはスター・ウォーズのプチファンですが、『フォースの覚醒』はちょっと残念な作品でした。


===以後、ネタバレです===


「初見の人にはつらい内容である」という意見はある程度市民権を得ているようですが、単純なSFアクションものという観点からであれば映像クオリティーは一流であり、酷評されるような映画ではないと思います。音楽は本当にすばらしいですし新旧の役者たちも最高な演技を披露してくれましたし、よくできた映画と言っていいでしょう。


「過去作品を見たことはあるけどとりたてたファンというほどでもない」という方々が、もしかするとこの作品を最悪と感じた人がもっとも多いセグメントかもしれません。「ダースベイダーって、どうしてダークサイドへ落ちたんだっけ?」という人からすると、前作までのストーリーの記憶がルークの居場所を指す地図のように不完全なため登場人物の関係に付いていけそうで付いていけず、作品を通じてフラストレーションを持ち続けてしまったという可能性はあります。


さて。プチファンを自認するぼくが、自分なりの勝手な期待を持って臨んだ『フォースの覚醒』を残念に思った理由は、「これは物語ではない」という一点につきます。ここについては、いちるさんが小鳥ピヨピヨでスター・ウォーズの物語性(神話性)について書かれており、ひとつの視点としてとても参考になります → 『現代の神話としてのスター・ウォーズ


スター・ウォーズが他の映画と違うとぼくが勝手に考えている要素は、「あくまで登場人物に焦点」をあて「銀河宇宙という壮大な時空を超えて展開」していく「ストーリーテリング」のダイナミックさです。愛と憎悪、善と悪、敵と味方、親子の絆と自立、などといった人の内面で対立するものについて、 偏らず流さずじっくりと描き、その深遠さや複雑さ不条理さを象徴するものとして宇宙と戦争という舞台を置いたのがスター・ウォーズという名の交響曲であり、そういう期待を勝手に持って、『フォースの覚醒』を見ていました。


そんな気持ちでこの作品に対面すると、すべての表現が中途半端であらゆる場面の進行がイージーに感じてしまうのです。過去作品へのリスペクトも含め個々のパーツの細部へのこだわりは並々ならぬものを感じますが、物語としては薄くて軽い。カイロとその親との確執が描かれてないとか(たとえそれが次作以降でルークとの関係も含めて語られるとしても)、カイロが信じられないくらい強くないとか(たとえそれが次作以降での彼の成長話(?)への伏線だったとしても)、レイのフォースがいきなり全開すぎるとか(たとえそれが彼女はアナキン以上のフォースの持ち主であるという設定が隠されていたとしても)、フィンはなぜ脱走兵という特別な存在になりえしかもジェダイの武器をいきなり操れたのかとか(たとえ彼もまた選ばれし者だったということが後から明かされるにしても)、などなど、他にも…。


ハン・ソロやレイア・オーガナら三十余年ぶりのご本人登場はファンとして狂喜必至だし、ピーター・メイヒュー(チューバッカ)やアンソニー・ダニエルス(C-3PO )が現役で演じていることに驚きを感じ、ケニー・ベイカーが「R2-D2 Consultant 」としてクレジットされてるけど一体何をしてたんだろうとか、旧作のファンにはたまらないシーンや要素は盛りだくさんなのですが、物語として、たとえばカイロという媒介を通した「その後(エピソード6後)のハンとレイア」、「彼自身の生い立ち」、そして「ルークとの関係」といったあたりの相関をもう少しにじませてほしかった。すべてを今回で語り尽くす必要はないけれどあまりに飛ばしすぎ。これらが抜けているせいでハンやルークの悲運さに気持ちが入っていかないしレイアの苦悩も表面的に感じられレイの希望にも寄り添うことができない。ルークという偉大な人物が最後の最後まで出てこなかったのも、スター・ウォーズという物語の中においてひとつのエピソードとして成立させるためにはあまりにも謎のままにすぎました。


それら「パズルの欠けたピース」は次作以降で徐々に明らかにしていくつもりなのかもしれませんが、謎として残していいところと進行する「物語」の要素として最低限必要なプロットのバランスが悪いよなあ、というのが率直な感想です。行間が多すぎて、広すぎて、ファンがそれぞれの妄想を膨らますには最高の素材かもしれないけれど、それって、ストーリーテリングじゃなくてエンターテイメントだよなあ、と。新三部作でどういう世界観が描かれ、どういう物語が語られていくのかを勝手にわくわく期待して待っていた自分としては、ファンを楽しませることを第一に考えたある意味ディズニーっぽさが出たとも言える本作品は、残念ですがどうもなじめませんでした。ファンと同じ目線で楽しめる映画を作りたいという想い自体はひとつの方向性としてもちろんアリなのですが、ぼくは、パズルのピースを埋めていく「イベントの集合」よりも、一見ばらばらな長い糸(=登場人物自身の内面であったり運命であったり)が徐々に紡がれていく「物語の絡み合い」がスター・ウォーズの魅力だと勝手に思っています。


以上、評論ではなく、感想でした。


さて、ネガティブなコメントばかりだとよろしくないので、最後にひとつ、ポジティブな感想を…


レイを演じたデイジー・リドリーはとんでもなくすばらしかった!! 最高に輝いてました。