浅田選手と同じ時間を共有したかった


ソチ五輪フィギュアスケート女子のフリー本番を控えた昨晩、ふと、思った。今日の演技の間だけは、浅田真央選手のそばにいてあげたい。いや、そうすることが日本国民の義務ではないかと。


彼女ほど国民の期待を背負ってきたスポーツ選手はいないのではないかと思うくらい、浅田選手は長きに渡って想像を絶するプレッシャーを受け止めてきたはずで、その反動で強烈な孤独感に襲われたことも数限りないのではないだろうか。マスコミが煽るからだと考える人もいるだろうが、浅田選手に関してはマスコミだけのせいにはできない。日本をあげて彼女にとてつもなく大きな期待をかけてきたと思う。そんな中での前日のショートプログラムでの失敗。フリー演技終了後のインタビューで「(ショートプログラムからフリー本番までの間にも)いろいろありました」と彼女が語っていたが、本当にいろいろあったのだろう。


そんな彼女の、国民の期待から来る責任感とか周囲の人々への感謝の思いとか自分自身にかけるプレッシャーとか、何トンも何万トンもの重石を背負ってリンクに立つ彼女のことを思うと、彼女が納得できる最高の演技のために、演技の間ずっと彼女のそばにいてあげたい、同じ時間を共有して「その場で」静かに応援したい、と自然に思った。


だから、演技終了のポーズが決まった瞬間、ぼくの目からは涙が吹き出した。一瞬だけ表情を歪めた彼女を見て、さらに感極まった。できた!そして、終わった!ぼくには彼女がそう叫んでんでいるように感じた。感動、っていう感覚ではなく、充実感と開放感を(彼女がそれを感じていると勝手に決め込んで)共有していた。


インタビューアーの「これまで取り組んできたことができましたか?」という問いに、しっかりとはっきりと「できました」とかみしめるようにこたえていたシーンをぼくはずっと忘れないだろう。


すべてはぼくの勝手な思い込みであり独りよがりなのかもしれないけど、誰にも迷惑かけてないと思うのでご容赦のほど。