インターネットがなくても生きていけるのか


高校生の息子が母親、つまりぼくの妻へこう言ったそうです。


「俺が生まれる前はインターネットってなかったんだよね? みんなどうやって暮らしていたの? 新聞とラジオと図書館?? 信じられない」


デジタルネイティブ世代から見れば、あって当たり前のネットが存在しない世界など容易には想像できないのでしょうが、何気ない言葉の端々にいろいろと興味深いポイントを見つけることができます。


第一に、「どうやって暮らしていたのか」、というふうに「暮らし」に言及していた点。これは彼らが遊びだけでなく日々の生活にネットが欠かせないものであると自覚していることを意味します。ゲームといった娯楽だけでなく、日々のコミュニケーションとしてもまさにインフラなんですよね。「待ち合わせの時に相手が現れなかったらどうするの?」っていう息子の素朴な疑問には苦笑い。そうなんだよね、最近は(若い子に限らず自分らもだけど)どこにいても相手に連絡がつくのが当たり前だから、待ち合わせの時間とか場所とか結構ゆるく決めている。会えなかったらどうしよう、という感覚は携帯電話世代にはかなり希薄。


あと、「新聞、ラジオ」に加えて「図書館」に言及していたのも印象的でした。新聞、ラジオは「今」を知る手段で、ちょっと古い言葉で言えば「フロー」な情報を伝えるもの。一方図書館は「過去」を取り出す「ストック」な性格を持つ、情報の保管場所。ネットが持つメディアとしての二面性を「暮らし」に欠かせないものとしてちゃんと認識してるってのは興味深いことでした。でも一方で、新聞もラジオも図書館も、まだなくなっていないんですよね。利用のされ方や頻度は変わってきているかもしれないけど、ちゃんと利用されている。なくなるなくなるといわれ続けても新聞なくならないよねえ。


あとひとつ、息子の発言でおもしろいと思ったのは、「雑誌」という単語が含まれていなかったこと。今の若い子は雑誌って読まないのかなあ。情報を取るための雑誌というのは役割を終えつつあると思うけど、趣味のアンテナはみんなどこに立ててるんだろう? それもネット?


そんなぼくは、気がついたら新聞も雑誌も以前ほど手にしなくなってしまいました。時間の使い方、世の中とのつながり方が、ゆっくりと、でも劇的に変化している時代に生きていることを実感しています。