パソコン事業売却、そのとき箱崎では

IBMx86サーバー事業をレノボへ売却というニュースを目にし真っ先に思い出したのは、日本IBM箱崎事業所勤務時代に経験したPC(パソコン)事業売却を伝える社内放送でした。IBMパソコンの売却は2004年12月に発表されましたので、そこから9年とちょっとが過ぎています。2004年というとツイッターはまだありませんしブログにしても少数の感度の良い人たちだけが書いていたという時代ですから、当時の箱崎の模様をリアルタイムに伝えた記録はなかったのではないかと思います。


そのとき、「大事な発表がある」との知らせがオフィス内を走り、各フロアに設置されたテレビモニター前に社員が集合しました。モニターと言っても液晶大画面などではなく、どうでしょう、30インチもないようなブラウン管だったように記憶しています。まるで昭和初期、はじめて見るテレビという名の魔法の箱の前に集まる庶民のように、不安とも期待とも何とも言えない空気が流れていました。


モニターにはたしか大歳社長(当時)が映し出され、PC事業を売却するという発表を淡々と伝えていました。同じフロアにいる社員はみな社長の言葉に聞き入り、歴史の大きく変わる瞬間を今まさにその場でリアルタイムで体験しているのだという重みを感じていたのではないでしょうか。ただの売却じゃないですよ、いまの形のPCを作ったIBMがそのPCを手放すのですから。ぼくが日本IBMにいたのはほんの5年弱でしたのでこのような緊急一斉放送を経験したのは一度きりでしたが、過去あるいは最近でもこういったことが時折あるのでしょうか、ちょっとわかりません。


PC事業のときは不採算事業の売却という色合いが強かったと思いますが、今回のx86サーバー事業の売却はそれに加えてIBMクラウド事業へのシフトという大きな背景があります。コンピューティングパワーの源泉(サーバーマシン)そのものを物理的に利用者へ届けるというモデルから、ネットワーク越しにコンピューティングパワーを利用するというモデルへの転換。山は気づいた時には動いていた…、そんな時代を生きている私たちであります。


(2004年当時の記憶を正確に覚えているわけではないので、当時の様子について間違ったことを書いているかもしれません。ただ、その衝撃だけはずっと心に刻まれています)