『ゼロ』についての感想文


ホリエモンの『ゼロ』、読みました。


ぼくは20年以上もIT業界に身を置いていますが、実は、ホリエモンに特別な興味を持ったことはありませんでした。本書によれば、彼の著作は共著も含めて50とのことですが、これまでぼくが読んだことのある堀江貴文さんの本は、小説だと聞いてどれどれどんな話なんだと購入した『拝金』のみ。


今回『ゼロ』を買ったのは、JBpressのインタビュー記事(『かっこ悪さを赤裸々に語った、ホリエモン』)をたまたま読んでいて、どうも今回の本は「はたらこうぜ」っていうのがキーメッセージのひとつらしいってことがわかったことがきっかけでした。ノウハウとかテクニックとかそういう小手先の話じゃなくって、自分の生い立ちや経験をさらけ出すことによって「はたらこうぜ」と呼びかける本だってことに、どういうわけか興味を惹かれたのです。これまで興味を持たなかった人の極めて個人的なことが書かれている本に興味を持ったというのはなんとも矛盾した話であります。


左記のインタビュー記事でも触れられていますが、この本ではこれまであまり伝えられていなかったホリエモンの「事実」が多く語られています。生い立ちから幼少期、青年期、大学から起業、そして逮捕と懲役生活まで。とくに東大合格以前の話はへーそうなんだー、って思うと同時に、その経験、体験が本書の「はたらこうぜ」っていうメッセージにいちいちつながっていくのが何かと新鮮。そしてこの本を読めば、彼が働いているのは金儲けのためではないということがわかります。もちろん、書いてあることが本当ならね(笑) ←って書いてますが、僕自身は何も疑ってませんよ、書かれていることはまんま信じています。疑ったって仕方ないですから。


本書では、努力することの大切さも繰り返しメッセージされます。いや、大切であるというより、努力するなんて当然のことでしょっていうのが彼のスタンスです。だから、楽して儲けるには、とか、効率よい金稼ぎ、みたいな問へは、「んなもん、さんざん努力してきたあとに考えることだ」と一蹴してますね。努力することが足し算なら、ショートカットは掛け算。足し算し尽くしたあとにようやく掛け算の時がやってくる。最初は「ゼロ」なんだから、いくら掛け算したってゼロだよっていう説には、なるほどなー、と。


ミーハーで申し訳ないけど池上彰さんの本はちょくちょく読んでいて、好きな著書のひとつに「学び続ける力」があるのですが、池上さんはここで「学び続けることの大切さ」を説いていました。ホリエモンは「働くこと」をこの『ゼロ』で説きました。どちらも人間にとってとても大事なことで、かつ、人間にしかできないことでもあります。人生とはすなわち、学ぶことと働くこと、なのかもしれないなあ、と今は思ったりもします。


はたらこうぜ」以外でこの本から感じた強いメッセージは、「自立しろよ」。ホリエモンの言う自立とは、親からの自立というのも重要な要素ですが、そこからさらに、身の回りの環境からの自立、社会の雰囲気からの自立、合理性を欠く慣習からの自立、そういった「自分の(だけ)で考えること」を勧めています。しかし、仕事というものはひとりではできないので仲間も大事だ、っていう話が添えられているあたり、苦労者なんだなあと感じたりするわけです。余談ですが、同じように「自分のアタマで考える」を主張するちきりんさんとホリエモンでは、そのアプローチがだいぶ違います。ちきりんは数値やグラフを多用します。さすが元コンサルです。一方ホリエモンはあまり数字を引用しません。「アタマ」と「頭」、文字の使い方ひとつで、読者と対面するときの姿勢が違うように感じるのは気のせいかな?


本書に何度も出てきますが、考えることをやめる、思考停止をする、その瞬間から人はオヤジ化する、と。その通りだなと思います。「自分の着る服を自分で選ばなくなる」も思考停止のひとつであり、オヤジ化の一要素なんですって!(ぼくは自分の服は自分で選びますよ。それが原因でよく夫婦喧嘩してます。「あなたの探しているような服なんて簡単に見つからない!」って(笑))


その他、本書に書かれていること:
目標を立てること自体はいいけど実行時にはゴールなんて意識せずに目の前をちゃんと見ろ、だってさ。人生のロードマップ引くなんてちゃんちゃら可笑しいってさ。「やりがい」は見つける(見つかる)ものじゃなくって、自分でつくるものだってさ。みーんな合意です。それぞについてホリエモンがどう考えているかを知りたい場合は、本を買って読んでみてください。


学び続ける力 (講談社現代新書)

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自分のアタマで考えよう――知識にだまされない思考の技術

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拝金 青春経済小説

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