ふぁぼられることについて


ツイッターには「お気に入り」という機能があります。文字通り "気に入った" つぶやきに☆印をつけておく機能で、私も、ツイッターのタイムラインで見かけた「なるほど、これは」というつぶやきによく☆を付けます。


その「お気に入り」ですが、先日、「私のつぶやきに付けていただいた☆」の合計が「私が他の方のつぶやきへ付けた☆」の数をついに抜きました。日本のツイッター界隈では、☆をつけることを「ふぁぼる」、付けていただくことを「ふぁぼられる」と呼びますが、「ふぁぼる < ふぁぼられる」は、実はこっそりと目標にしていたひとつの指標でした。2年半と少しツイッターをやってきて私が他の方のつぶやきへ付けた☆は500にも満たない数ですが、「自分が評価したつぶやき」を「他の方が評価した自分のつぶやき*1」が上回るというのは、素直にうれしいものです。もちろん、この不等式を達成するために「ふぁぼり」をケチったことなど一度もありません。


私は、どうしようもない個人的なことや他人には無価値な自分の日常を大量につぶやく一方で、「これは有益だ」と思った情報を見かけたときは即座にツイッターへ流します。自分に有益なものは他人にもきっと役に立つだろうという、ある意味身勝手な考えに基づいてどんどん発信します。あるいは、世の中にある様々な出来事に対する自分の(まじめなw)意見をツイッター上で述べます。その結果として、「自分が得た有益な情報=ふぁぼり」よりも「自分が他人へ伝えることのできた有益な情報や考え=ふぁぼられ」が上回ったという事実は、自分も少しは世の中に役立つことできてるのかな、あるいは、ツイッターというものが「バカと暇人のためのもの」じゃないことを証明するひとつの材料になれてるかな、などと自己満足したりしています。


ネット上の☆をサマリーして見せてくれる「ふぁぼったー」というサービスを見てみると、実にくだらない(ごめんなさい!)発言に多くの人が☆を付けていることがわかります。「だから☆なんてその程度のもんさ」と私の考えを一蹴する方がいたとしても、一向にかまいません。だって、くだらないと思えるつぶやきへ「おもしれー」と反応しただけの☆だったとして、それってやっぱり、☆を付けた人にとって「有益なつぶやき」だったんじゃないかな?

*1:厳密に言えば、☆を付ける基準は人それぞれですので必ずしも「評価された」という理解が正しいとは限りませんが