なぜ、つぶやくの?


「よくそんなに(ツイッターで)つぶやくことあるね」という指摘を受けることが結構あります。そんなにつぶやいてるかなあ(笑)


ぼくのつぶやきは、外界からの刺激への反射作用が結構な割合を占めてると思ってます。それは、ウェブの記事であったりテレビの報道番組だったり知人や同僚の声だったり、そしてもちろん、ツイッターのタイムラインを流れるつぶやきだったり。ぼくはそういった、「外界の変化に興味を持つ」という好奇心と、「有益な情報は他の人にも伝えたい」という共生感と、「自分の考えの断片をどこかに残したい」という自分勝手な欲求のはけ口として、ツイッターと向き合っています。


別な見方をすると、ぼくのそういう「反応」を受け止めてくれる器として、オープン性、シンプルさ、ゆるいつながり、スピード、、、といった特性が、ツイッターというサービスの中にうまぁく織り込まれてるんですね。こんなものは過去になかった。


好奇心も共生感も欲求も、すべてぼく自身の動力源であり、それらと相性のいいメディアへ自然と指が伸びてしまうのかもしれません。だから、つぶやくためにネタを探しに行くことはないし、何かつぶやかなきゃっていう義務感もありません。特定の誰かのためとか、ましてや会社のためにやってるわけでもありません*1。あくまで自分のための道具です。


でも、そんなに言われるほどたくさんはつぶやいてないと思うけどなあ(再)

*1:会社用の別アカウントでは、業務の一環としてつぶやいてはいますが