ショッピングモールが地球を覆ってしまうことをぼくたちは望んでいるか


今日のTechCrunchの記事を見て、ジャガーノート(juggernaut)という言葉をはじめて知りました。「何物をもってしても止められないもの」という意味らしいのですが、今回の記事では現在のFacebookを指してこの言葉を使っています。実にうまいタイトルをつけたものだと感心しただけでなく、記事の内容も大変すばらしいので、ご一読をお勧めします。(Facebookジャガーノート―何物をもってしても止められないのか?)


記事では、Facebookをソーシャルウェブ世界におけるMicrosoftだとしています。曰く『気が遠くなるほど巨大で、無慈悲なまでに凡庸、そしてどうやっても逃れ難い存在』だそうだ。ぼくも同感です。そして筆者は、この巨大な存在はソーシャル世界の王として今後も君臨しイノベーションを潰し続けるであろうと警告し、"反乱" を期待するとして記事を結んでいます。


記事に同感と言っても、ここでFacebookを否定したいわけではありません。5、6年前はmixiにはまっていたこともあり、友人関係や人のつながりの中で起きる様々な事柄を密に交換することの楽しさは理解しているつもりだし、ソーシャルグラフの可能性にはそれなりの期待は持っています。実際、ほぼ毎日Facebookへアクセスするようになりましたしね。しかし、Facebookがインターネットそのものを変質させてしまうほどの力を持つと言われると、それで本当にいいんだろうかという気持ちになるのです。


ネットが普及することによって、人々のつながり方に大きな変化がもたらされました。そして現在は、ソーシャルなサービスの登場で以前にも増してリアル世界とバーチャル世界は混じり合い、変化し続ける新たな融合世界がネットというインフラの上で形成されている状況でしょう。


人々のつながりはネット世界を構成する(重要ではあるが)ひとつの要素に過ぎません。しかしFacebookは、TechCrunchの記事で「ショッピングモール」と形容された「コントロールされたクローズな世界」をネット上に作り(作ること自身は問題ではない)、そこへネット自体を吸収しようとしているように見えるのです。そうなりつつあるのは、少なくともこれまでは、シェア拡大に必死に取り組んできた彼らの責任とは言えないでしょう。しかし、5億人を超える利用者を抱える巨大サービスと化した今、彼らはそのことを強く自覚し、ネットとの向き合い方を考えないといつか足元をすくわれるぞと考えるのは、ぼくが前世代の思考回路から抜けきれない臆病者だからなのだろうか。