『アバター』についてもう一言だけ


映画『アバター』を観た直後の感想を「『アバター (AVATAR)』は孤高の3D映画、かもしれない」って表現したんだけれど、その後いろんなひとの意見に耳を傾けながら、この映画についての考えをもう一度整理しておきたいと思ったので記録しておきます。


ストーリーが凡庸で過去の映画のパクリ、あるいはキャメロン監督自身の勝利の方程式に笑ってしまうくらいガッチリはまったストーリ展開とキャスティング(つまりワンパターン)、という点については世の中的に異論はほとんどないようです。要するにこの映画は、「超絶3Dをどう受け止めるか」ということと、「映画と3Dの関係をどう考えるか」っていう側面から評価が分かれてくるわけです。


超絶3Dをどう受け止めるか
はっきり言って、すごいと思います。より正確に言うと、この3D技術とそれを生かす表現演出を徹底したキャメロン監督に脱帽です。情熱と金のなせる業と言えなくもないですが、当面は今後出てくる3D映像のベンチマークであり続けるでしょう。(宇多丸(欄外参照)さんによれば、いくつかの3D方式の比較ではやっぱりIMAX最高らしい)

ぼくには3時間弱にもおよぶフル3Dは正直つらかったけど、大丈夫な人も大勢いるので、映像の観点からのみ考えた場合、尺の長短は評価が難しいところ。*1


映画と3Dの関係をどう考えるか
ってことを考え始めると、「映画ってなんだ」って話になっちゃいます。これは正解なんて存在しないので意見が割れて当然のところ。以下は私の勝手な意見。

CGは映画における映像の質を高め、表現の幅を革命的に広げました。「2001年宇宙の旅」も「スターウォーズ」もすごかったけど、その時代の技術では「ジュラシックパーク」は撮れなかった。"2D"の『アバター』は観ていないけれど、3D版でなくとも表現力がきわめて高い映画であることは容易に想像できます。

コンピュータの力を借りて本物そっくりの二次元映像を作ることを狭義のCGと呼ぶならば、CGは実写を補完する技術であってほしい、というのがぼくのごく個人的な考え方です。アニメと実写を区別するなんて古い考え方だ、と言われるのは承知でこう書いているのだけれど*2、実写のようなCGで埋め尽くされた映像は、なんと言うか、「おせっかいが過ぎる」のです。人間の想像力を奪ってしまうものなんじゃないか、と。そしてさらに2Dから3Dへの拡張。文字を目で追いながら登場人物の声や表情、風景などを想像するのが小説の楽しみ方であるのと同様、二次元のスクリーンの中で展開する物語を頭の中で三次元化し広げて行くのが映画の楽しみ方だとぼくは思うのです。肯定的に捉えれば「フル3D映画はもはや映画ではなく小説→映画に続く次の世代のエンターテイメントだ」といえるかもしれませんが、そのような技術はインタラクティブ性の高いゲームの世界でこそ生きるものであって、ストーリーテリングが背骨である小説、映画の延長にあるものではない、とぼくは考えます。

映画として捉えた場合『アバター』に不足しているものは、宇多丸さんの指摘が非常に鋭くて、曰く、「映像を追及するならもっと尺を短くしてストーリーもこれ以上にシンプルでわかりやすいものにすべきだし、物語性を持たせるのであれば人物描写も世界観の表現も今以上に丁寧にやるべきでむしろ尺は伸びる」、だと思います。


結論
てことで、映像すごい、だけど映画として観るならば中途半端かなあ、というところ。非常に挑戦的だし歴史に残る映画になるかもしれないけど、単純に『これからは映画は3Dだぜ』と言われちゃうとちょっと引いちゃうかな、というのがぼくの感想でした。(→以下の絵は、見終わった直後のぼくの「ツイート」(Twitterでの投稿)。ここにすべてが凝縮されてる感じ)


http://twitter.com/saitokoichi/status/7148575155

ご参考:
宇多丸さんによる『アバター』評(MP3)
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20091226_hustler_2.mp3

映画評論家・町山智浩さんによる『アバター』第一印象
http://www.ustream.tv/recorded/3219113

*1:1点、失敗したと後悔しているのは、鑑賞した席が中央から若干左寄りだったということ。もし機会があれば真ん中の席&できるだけ前の方(視界いっぱいに3D映像を持ってきたい)で再度観てみたい → 2010/01/20追記: 中央&前方で再鑑賞。初回よりは酔いは少なかったがそれでも印象はほとんどかわらず

*2:とくに『アバター』の場合、俳優に実際に演技させたものをCGで再構成しているため単なる「お絵かき」ではない