没入型映画『ブレードランナー 2049』


圧倒的な映像美と壮大なサウンドが創りあげる世界に完全に沈み込んでいたということに画面がエンドロールへ切り替わった瞬間に気付いて、そのとたん涙が出てきた、、、そんな映画でした。映画ってこれだよな、という思いが後からじわじわ込み上げてきて、3D版もあるみたいだけどそんなギミックものを金かけて作らないでくれよ、と心の底から思いました。(ぼくが観たのは当然2D版です)


史上最高の「続編」と呼んでもいいかもしれない。もちろん、続編にも様々なものがあるけれど、大半は前作の続き(や時には過去)のお話を語る作品です。続編ができるってことは前作が商業的に大成功したってことでもありたいていの場合はより大きな資金を投入できるので映画としては「大味」なものになりがちで、大げさなものを望む人以外からは「パワーアップしたけど、まあまあまってとこかな」程度の評価を得るものが多いんじゃないかな、というのがぼくの印象です。


ブレードランナー 2049』は、前作から35年も経ってから制作された続編ってことからして、他の多くの続編物とは異質な存在であることが映画を観る前から窺い知ることができます。


1982年のオリジナル『ブレードランナー』の他に、ディレクターズカット、ファイナルカットをはじめとして7つものバージョンが作られていることは、この作品への思い入れが強い(濃い)ファンや関係者が少なからず存在していることを物語っています。そんなすべての『ブレードランナー』を愛する人たちの積年の夢であった、「もう一度観たい!またあの世界に没入したい!」をかなえてくれたのが『2049』でした。世界観だけで観る者を完全に包み込み頭と心を揺さぶり続ける、、、そんな作品です。キャラクターや大道具小道具が立ったスター・ウォーズシリーズとは対極を行く続編ですね。(スター・ウォーズをdisっているわけではないので、念のため。ぼくはスター・ウォーズ大好きです)


『2049』は続編ではあるのだけれど、話の続きを語るというよりは、同じ作品を何度も見返すということとは別な意味で「あの世界にもう一度没入したい!」という、ファン、関係者の「もう一度」という熱い想い(それは時に「続きを見たい」という感情にも勝る)に見事な作品力で応えてくれました。未来を描いた映画ではあるものの、SF 〜 "Science Fiction" とも言い切れず、何が現実で何が虚構かの境目があいまいになるゆらぎとカオスが頭の中でごちゃごちゃになり、こういう映像なら(デイヴィッド)リンチにメガホンを振ってもらってもおもしろかったんじゃないか、てなことを勝手に妄想しちゃったくらいです。奇しくも、本作品の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは次作としてリンチによる世紀の失敗作(?)『砂の惑星 デューン』を撮影中だとか。


ということで、完全なる没入型映画なので、前作観てないとか観たけどあまり印象ないなあ、という方には、かなり退屈な映画かもしれませんのでご注意を。


追記:2017/11/23 ==========

2度目の鑑賞。前回にも増して高い感動度


続編て、各々の要素レベルで前作と連続性があったり繋がりが太かったりする(=制作側からのある種の強要)必要は必ずしもなくて、世界観とテーマががっちり継承されていれば「お話の続き」でなくとも観るものは再び感動できるんだなあ、と実感。今回の主人公ジョー/Kがラスト近くで雪の中階段に横たわって脱力しているシーンと前作で反乱を起こしたレプリカントのリーダーのロイが寿命を迎えてうつむき鳩が飛び立つシーンとがなぜか重なって思えたり、作り手から強制されなくても観る者は勝手にいろんなことを重ねたりつなげたりして楽しめるのだな、ということを感じました。


※余談かもだけど、ライアン・ゴズリングの演技力、役へのハマり度とも、ハンパないな。


ブレードランナー』(1982年)を最も好きな映画であると公言しているぼくとしては、心の底から、作ってくれてありがとう、と制作に携わった全ての人に言いたい作品であります。