『八重の桜』を振り返って前を見る


2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』、終わっちゃいましたねえ。『龍馬伝』以降、"汚い映像" になった大河はどの作品も完成度が高く、毎年、毎回、大変楽しく観ていますが、今年の八重の桜も本当にすばらしかった。


去年の暮れ、上野駅中央改札に下げられた八重の桜の吊り広告を見た時は、綾瀬はるかが鉄砲を振り回す戦争ものかと思ってそんなの一年間やられてもなあと警戒していましたが、「戦(いくさ)もの」だったのは会津の歴史が終わる夏くらいまでで、そこから後は打って変わってドラマチックすぎる近代日本のトランスフォーメーションを描くという、二段構えの盛りだくさんなドラマでした。すばらしい役者、すばらしい音楽、すばらしい映像とともに、大河でなければ成しえなかった大変な手間と時間とお金をかけた、これ以上ない豪華な作品だったと思います。


しかしこの二段構え、見事ですねえ。会津藩の立場から本当に悲惨でつらい戦争をじっくりと描くことによって、刀から銃へそして学問へとそれぞれの時代の「武器」による戦が進行していく後半のストーリーに厚みが増しています。一秒も息がつける所のない、高い密度の映像と演出。ぼくはほぼ毎回号泣、、、じんわりな涙ではなく、床に落ちるほどの涙を毎回流して観ていました。


悲運の会津。そしてその魂が、残された人々が、今の日本の礎を作ったとするストーリーをシニカルに美談と片付けるのは簡単だけど、それ以上にこの作品は、世の中の仕組みや価値観が激しく変化する中で人はどうあるべきか、いかにして生き抜くか、を観るものに問い、それぞれの答えを胸に持ってもらいたい、そうメッセージしていたんだと思います。信念を持って生きること、あきらめないこと。それは自分のためではなく、愛する家族のため、友のため、国のため、そして、国境を越え世界のすべての人々のため。終盤の日清戦争を描いている箇所では、時の陸軍司令官・大山巌をもってして「敵国民であろうとも、仁愛をもって接すべし」、そしてその言葉に共感し実行する八重の行動には深く重たい感動をおぼえました。


そんな「八重の桜の時代」は、実はつい最近まで続いていたのですね。ドラマの中の話、歴史上の出来事、、、とつい思ってしまいますが、たとえば新島八重は私の父が生まれた時(昭和2年)にはまだ生きていたわけです。苦悩の会津家老・山川浩の弟にして東京帝国大学総長もつとめた山川健次郎も私の父が4歳のときまでご存命でした。日本のジャーナリズムの先駆者である血気盛んな徳富蘇峰は、ぼくが生まれるわずか9年前まで生きていた!これほどまでにも激しかった時代は遠い過去のことではなく、振り返ればすぐそこにあった、そんな思いを抱きつつ、日々を大切に生き抜かねば、と再確認。


それにしても綾瀬はるか、カッコよかった!