タレントは本物の芸能人を目指そう (『2011年新聞・テレビ消滅』を読んで)


「大人の事情」が主な理由とおぼしき釣りに過ぎる書籍タイトル*1が本屋にあふれ、最近は少々食傷気味。書籍は目にとまり手にとられてナンボですから仕方ない部分もあるのかもしれませんが、タイトル負けした内容も少なくないように思います。


しかし、『2011年新聞・テレビ消滅』。こちらはタイトルに負けない本気な書籍であります。ここでは、2011年に新聞とテレビが本当に消滅してしまうかどうかという議論を追求するつもりはないのですが(笑)、「マス」が減退していることは事実ですし、世の中の変化は急激なようでいてある意味ゆるやかだったりするので、このうねりに一番気付かなくてはいけない中の人の意識が低そうだという指摘もまた実態なのでしょう。


何年か前に『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』を読んだときよりも、新聞・テレビを取り巻く広告事情は悪くなっているし、当時から言われていたことが着実に進んでいるという印象を受けます。私自身に関して言えば、最近は本当にテレビを見なくなりました。朝のニュースを斜め見する程度です。実は新聞もあまり読まなくなりました。新聞に関しては「今日の日経の〜の記事だけど」という会話が発生しうる仕事環境にいるので当面はまったく読まなくなるということはないと思いますが、積極的に目を通す理由はなくなってきています。


同書で繰り返し書かれていますが、メディアを「コンテンツ」(中身)、「コンテナ」(中身を載せるハコ)、「コンベア」(ハコを運ぶもの) で階層化したとき、コンテナを押さえたものが結果として生き残って行くという指摘、これは、身の回りのことに照らし合わせてみれば実に的を得たものであることがわかります。iTunes Storeもその一例*2。インターネットとデジタル世界がこれら三層をきれいに分離することに一役買い、そういった事態をもはや避けられない時代の流れであると受け入れられるかどうかが新聞なりテレビなりの行く末を占う上において重要となると思うのですが、筆者は現時点で試合終了宣言をしてしまいます。もはや不可避であると。勇気ある断言に拍手!(2011年と言ったら、もう2年しかないのである)


こうなってくると、テレビ番組 (とくに民放) のかなりの割合を埋め尽くしている "自称" タレント = "実態" 単なるキャラクターな方々も、来たるテレビ崩壊の時に備えて本業のはずの「芸」を磨いて自他共に認められる本物の芸能人になっておかないと食い扶持もままならない、ということになってきますね。(大きなお世話か...)


2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

*1:「バカ」とかね...

*2:個人的には、同書で言及のあった "次世代の" セット・トップ・ボックスに興味あり