揚げ足取りに気を遣う時間がもったいない


揚げ足取りをされないよう表現に気を遣わなくてはいけないのは、本当に時間がもったいない。


一般的に揚げ足取りびとには以下のような性質があると思います。総じて、議論の「線」よりも「点」や「(ごく限られた)面」の重要性が勝ってしまうことにより揚げ足取りが発生します。

  1. 特定の話題、モノに対して強い思いを持っており、理解不足から来るとおぼしき発言が許せない (言葉の定義にこだわる)
  2. 誰彼構わず、突っ込むことが快感 (本題よりも他人の粗探しが優先する。実名での発言はまずしない)
  3. (もともと) 発言者に批判的で、常に突っ込み時をうかがっており、それが目的化している (同上。ターゲットは著名人)


うしろの二つは論外と言うかスルーの対象だけど、(1)に関しては食いつきたくなる気持ちが理解できなくもない。しかし考えよう。黙っていれない、突っ込みたいという気持ちを一旦飲み込んで、(もし、相手が前向きな気持ちで発言していると考えることができるなら) 反論するにしても前向きな姿勢でボールを投げ返せば、相反する意見がぶつかって新たな視点が見つかるかもしれないし、お互いの理解が進んだりするはずだ、と考えてしまうのはきれいごとだろうか。とにかく、生産的に行こうよ、ということだけなんだけど。


「〜を歪めて伝えるな」、「〜をわかってないのに発言するな」(言葉の定義が違う時点で議論停止)
  ↓
「それを言うならXXXと言うべきで。さて本題に異論があるのですが..」、「〜の用法が気に入りませんが主題の件は..」(言葉の定義にコメントしつつも本題から外れない)


もちろん、誰が読んでも (一般人が見ても、という意味) 明らかに悪意を持って事実を捻じ曲げたり攻撃することが目的と取れる発言に対しては別ですよ。そういうときは、社会的影響が大と考えられるときを除き、むしろスルーすべきでしょう。


前のエントリーにも書きましたが、

その言葉に特別な思い入れとかこだわりがある人にとっては、拡大解釈も意味を狭めることも絶対に許せないし、用法的にほんの少しでも怪しいところがあると完璧に正さないと気が済まない、そういうところがあります。それが何らかの文章に表されているものであれば冷静な気持ちでは読み進められないし、議論の最中であれば言葉の定義をお互いに正確に確認しあえるまでは話し合いを中断させてしまいます。


という気持ちはわかります。自分もそういう性質が強いほうです。だけど、言葉の定義という「点」や「面」にひっかかって本筋である「線」に対しても批判的になってしまうと、お互いの言いたいことが置き去りになっちゃってもったいないなあ、と思うのです。


あくまで一般的な話として、自戒の意味もこめて。