「オープンソース」でも「オープンソース的」でも


今日はひがやすをさんの『梅田望夫オープンソースを語るなとガツンと申し上げたい』というエントリーが盛り上がりましたね。きっかけは、「オープンソース」という言葉が何度か出てくる梅田さんのインタビュー記事を見たひがさんが「お前にオープンソースの何がわかる!」と頭に来ちゃったところ。経緯は当該エントリーを見ていただくとして、ぼくの感想は「どっちもどっち」です。


梅田さんは、

  • 梅田さんの「オープンソース」の使い方にはたしかに不正確なところがあった。意図的かどうか不明なれど、バザールモデルとの混同が見られる。
  • コメント欄においてエントリー主に対して「改竄」、「隠ぺい」といった、中傷とも受け取れる発言をしている。(梅田さん悪い)


ひがさんは、

  • ひがさんのエントリーにはマナー違反があった。意図的かどうか不明なれど、「中略」といった表記を入れず元記事の内容を不正確に引用した。
  • オープンソース」の用法が不適切と思うや頭に来てしまい、元記事の意図するところを正しく理解しようとせずに非難しているように見受けられる。(ひがさん悪い)


この話、自分自身のことに照らし合わせると、頭が痛いんですよねぇ。言葉って、その言葉に特別な思い入れとかこだわりがある人にとっては、拡大解釈も意味を狭めることも絶対に許せないし、用法的にほんの少しでも怪しいところがあると完璧に正さないと気が済まない、そういうところがあります。それが何らかの文章に表されているものであれば冷静な気持ちでは読み進められないし、議論の最中であれば言葉の定義をお互いに正確に確認しあえるまでは話し合いを中断させてしまいます。自分がまさにそうで、ときにはかなり感情的になってしまいます。そんな人間の性質が今日のやり取りの背景にあったんじゃないかと、自分自身のことのように感じてしまいました。(もしそうでないのなら、勝手に思い込んじゃってごめんなさい > 誰とはなく)


ということで、ソリューションを。「オープンソース」の意味が正しく理解されないまま世間に定着してしまうことを危惧される前線の方も多いとは思いますが、


梅田さんは、

  • 「改竄」、「隠ぺい」などの言い回しは度が過ぎたと謝ったほうがいい。
  • オープンソース」の用法についての自分の理解あるいはポジションを明確にする。(それでもどーしても納得できないという声が多ければ、何か別な言葉を探す、、、だけど、そこまでしなくても、とは思います)


ひがさんは、

  • 「中略」の一件は謝罪したので今後は不問でよい。
  • オープンソース」の用法関する一般社会との理解の相違をある程度許容し、その上で展開される議論のコンテキストに注目する。


かな。だめ?


なおぼくの理解では、火種(?)となったインタビュー記事において、梅田さんは日本のソフトウェアにおけるオープンソースコミュニティーを否定的に扱う発言はしていません。うがった見方をすれば何とでも取れそうな表現がないとは言えませんが、先入観をリセットして読めば私たちを鼓舞する言葉はあっても今回問題視された意味合いは含まれていないと思います。(少なくともぼくはそう感じました)