『できそこないの男たち』は加速度に支配される


『できそこないの男たち』は、オスという生き物の生い立ちと性(サガ)を解説した本です。


著者の福岡伸一氏は『生物と無生物のあいだ』で著名な生物学者さんで、サイエンス本ではあまり見られない小説のような文体が特徴です。そんな彼の文体は好みが分かれると思いますが、ぼくはちょっとくすぐったく感じます。事実だけを理路整然と書かれるより読みやすい文体であることは間違いありませんが、自己陶酔感が漂っている個所が時折見受けられ、読みやすさも程度問題だなと思うことがあります。しかし書かれている内容の質としては素人のところまで降りて来てくれていて、大変おもしろく読み進められる本が多いです。『生物と...』でもテーマになった生命の「動的平衡論」ネタが複数の著書でかなり重複して書かれているところや、特有の陶酔文体をあわせて差し引いても、ぼくを含めた専門外の一般人が読む価値のある本をたくさん書かれていると言えるでしょう。


さて今回の『できそこない...』について。福岡氏の著書で感じるのは「プロローグ」のすばらしさなのですが、この本のプロローグはいまひとつ。かなり長文である上に、最後が長い詩の引用で終わっていて、まさに陶酔な感じが漂うんですねー。(笑) 他の本のプロローグはここまで酔ってなかったように思います。彼のプロローグがすばらしいと思うのは、後から読み返すとその本に書かれていることが実にコンパクトにまとめられているから。ネタバレの回避具合が絶妙で、でも、本文に入る前の読者の心をしっかり盛り上げてくれる、そういう序文なのです。


『できそこない...』の本文はというと、彼の他の著作と同様、読者の知的好奇心を適度に刺激しながら歴史を紐解き、そのへ巧みな解説が展開されます。この本の主題は、生物のデフォルトはメスであって、オスってのは (1) 肉体的には跡付けの突貫工事で作られているし、(2) 生き様にしてもメスに尽くして生をまっとうするように運命付けられているのである、というもの。動的平衡論の感動には遠く及びませんが、学生時代の理科の記憶を引っ張り出しながら飽きることなく読み進められるストーリーは、通勤・通学時の友としてオススメであります。


と、この本を読みながら、最近ラジオで聞いたミツバチの生態についての話を思い出しました。ハタラキバチというのは生殖能力を抑えられたメスバチのことで、オスは働かない。じゃあオスは何をしているのかというと「ブラブラしている」のだそうだ。延々とブラブラしたあげくに、女王蜂の産み落とした卵へ「オトコとしての仕事」をした瞬間に即死するんだとか。同ラジオでパーソナリティーをしていたしょこたんが「かっこいー」と言ってましたが、ぼくも同じ感覚を覚えました。もしかすると、ぼくらの深層心理(?)みたいなところには『できそこない...』で書かれているようなメスとオスの関係が刻まれていて、反射的にかっこよく思えてしまったんでしょうかね。


なんてこと書いてきて最後にオチですが、ぼくがこの本で一番おもしろいと思ったのは、実はエピローグ。加速度と人間の第六感についての著者の仮説、これに興味をひかれました。どんな話かは本を読んでみてください。(でも、エピローグだけ立ち読みしても、たぶん意味はわかる(笑))

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)