シェアする心と『治る前提でがんになった』(読後感)

この本は、「がん」をめぐる闘病記(個人的な記録)であり患者学(がんに打ち勝つ術)であり、そして、著者・高山さんが悪性脳腫瘍、白血病悪性リンパ腫というふたつのがんと向き合うことによって本当の意味で見えてきたことを「がんになることの意味」としてまとめた、生へのエネルギーに満ち溢れる貴重な書です。がんに関わりのない(なかった)方も、大病とは縁のない(なかった)方も、すべての人が読む価値のある、最低でも「家庭に一冊」置いておくべき本だと思います。


本書前半の「闘病記」と「患者学」は、がんという病に関する高山さんの経験をシェアするもので、いわば「情報の共有」です。ぼくは病前から高山さんとは面識があり彼が日々書き記しているブログの愛読者でもありましたので、経験した者でなければ発信できない情報の共有を書籍という形で実現したことは彼にとってごくごく自然な流れだな、と感じることができます。そこに書かれている情報は、ひとつひとつが明解で実用的である一方、リアルであるがために闘病の苦しさがじわじわと伝わってくるのですが、不思議と重苦しさはないんですよね。その理由はたぶん、ふたつのがんを克服した経験を振り返った高山さんに見えた「病気に勝った」という感覚とも違う「この病気になった意味」に根差した入魂の文章にあったのではないでしょうか。高山さんがこの本を通じて伝えたかったのは、「闘病記」「患者学」による情報の共有ももちろんなのですが、おそらく、それと同じかそれ以上に「感謝の共有」だったのではないかと思うのです。


高山さんが最初の入院をご自身のブログに書かれた時、驚いたぼくは励ましの声を届けるべく高山さんへFacebookでメッセージを送りました。この時はまだ病名は明かされていませんでしたが、長期の入院になりそうとのことで、ただならぬ空気を感じていました。


その後しばらく彼のブログは更新が途絶えることになりますが、入院宣言から2ヶ月少々経ったころ、同じブログを通じて今度は退院報告が発信されました。と同時に、彼が侵されていたのは脳腫瘍、つまりがんであるということも同じ投稿で明かされることになります。この時ぼくは、無事でよかった!という安堵とともに、幼い頃から親戚を何人もがんで亡くすという自分の経験などから何かが胸の中から噴き出して来て、Facebookで送るにはかなり長めのメッセージを彼へ送ってしまったことをよく覚えています。(この時のメッセージでぼくが書いたのは実は親戚のがんとは直接関係ない話だったのですが、プライベートなことなのでこの場では伏せさせていただきます)


そして翌々年、再び長期入院の知らせがやはりブログから発信され、またもやブログは休止…。


そんな二度にわたる闘病を経て、そして見事がんを克服され、高山さんは感謝の共有を記した『治るという前提でがんになった』をリリースされました。ここでいう感謝とは、特定の誰かに対するものだけでなく、あらゆる物事への感謝であると言えるのですが、そこはぜひ、この本を通じて読み手それぞれに感ずるところが生まれてくることを身勝手ながら期待したいのです。


治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ