「当然のこと」が亡びるかもしれない


一時期少なくともネットの一部ではすごいことになっていた『日本語が亡びるとき』ですが、会社近くの本屋ですぐに入手できた幸運を正しく使うために、すぐに読みきりました。(それはもう約2週間前のことなんですけど...(笑))
この本、著者の持つ危機感がいい意味で暑苦しくビシビシ伝わってくると同時に、この平和ボケもおしまいにしておかないと今度こそ本当に日本は世界から置いてかれるぞー、という思いをいよいよリアルなものとして感じる、そのためのスイッチに直結しているようです。

結局のところ彼女のいいたいことは「英語の世紀が来たぞ」「エリート教育を復活させよ」「国語教育を教科書の呪縛から解け」ってことか。個人的には賛成。できるもんなら漱石が通った頃のように東大が英語で講義するとか、教授陣は大変そうだけど。しかし本当に良質な情報が日本語で手に入り難くなった。肝心の情報は軒並みブログからのリークで翻訳されなくなったし。会って話すと若い記者の方々とかみんな賢いのに、記事を読むと意味が分からないことが多い。
『汚れちまった日本語に』(雑種路線でいこう)


何が書かれているかについては上記の引用のとおりなんですが、このセンテンスだけ抜き出して読んじゃうとあまりにもシンプルすぎるので、少しでも日本の先行きを憂う気持ちがあるならば、斜めに構えずにぜひ手にとって読んでみてください。「日本語」とか言語・書き言葉などを題材として論じている本ではありますが、それらが示唆する範囲は日本が今後国際社会とどう向き合っていくべきかというところにまで及んでいると言えます。


私の認識に間違いがなければ、この本がネットですごいことになったきっかけは梅田望夫さんのエントリーです。この本を読むべきひとは誰なのかを非常にシンプルに的確に列挙しているところがすごいです。梅田さんの口調があまりに端的でぶっきらぼうだったので、本を読んでいない人からの批判が多く寄せられたことでも話題になりましたね。(ほんと、読んでから物言えってぼくも思いますが...)

この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生、高校生、大学生、大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。
『水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。』(My Life Between Silicon Valley and Japan)


さて、私からも私の言葉で推薦文をひとつ。私が文学とか歴史などにとーんと疎い理系一直線な人間なので、それらの要素がちりばめられた同書に必要以上に感化されているかもしれませんが、その辺を差っぴいたとしても、以下の推薦文はそのまま変更なしにいつでも使えると思っています。


身のまわりのあらゆることがそこにあることを当然のこととして不思議に思わず、感謝の気持ちを忘れ、今日を真剣に生きるということをしなくなった人々へ、品格とか見栄を気にする前に、ぜひおすすめしたい書。


あ、そうそう、あと、英語を母語とする人々にも読んでほしいな。そのためには的確な英訳が必要だけど。(ただし的確な訳だったとしても、"普遍語 (=英語) の立場で考える" 彼ら彼女らが理解できるかどうかは微妙だ...)


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で