グーグルがヤフーに勝てない102番目の理由 (『ウェブはバカと暇人のもの』より)


俺様の話を聞け節が炸裂している感がかなり強いので読んでいてやや引けてしまうんだけど、それでも、ネットすごいぞ症候群 (自分自身も含めて) 向け解熱剤のひとつとして薬局、、じゃなかった書店でお求めになるのもよろしいかと思います。


日本のネットのある意味最前線と言うかもっともリアルな現場で戦われている方が書く話ですから、リアリティーがあります。「バカと暇人」っていう表現も、書籍タイトルのつけ方としては天才級な釣りと思える一方で、「今現実に起きていること」を梅田望夫さん的視点とはほぼ真逆から攻め込んだ結果出てきた、ただの釣りとは言い切れない言葉です。


「バカ」、という表現はどうかと思うけど、たしかに「暇人」は多いのでしょうね。その暇人の、ウェブと時間の使い方についての記述を見ていると、なるほど、日本でグーグルがヤフーに勝てない理由のひとつが見えてきます。これはもう数の問題であって、グーグルがだめなわけではないし、ぼくとウェブの付き合い方はこの本に書かれていることとはまったく異なるけど、少なくとも日本のウェブ利用は結局のところ個人が出発点ではなくて大衆からなのだなあ、というのが多数派なんだと思う。それは機械的に数学的に物理学的にはじき出される結果よりも、人がどう言うか人がどう見るか、そして突っ込みどころはどうか (完全性があってはいけない) っていうことを紡ぎあげて索引を作る過程において人間が入り込んでくる、そうすることによって計算からははじき出せない微妙な見えないズレ感が肝なんだなあ、と。そういうのがウケるというのは、良い悪いではなく、国民性。個性個性と言ったって、自分を個人として見せることよりも枠にはめたり分類したりして「何かに属している」感がないと不安っていうことなのでしょう。そうじゃなきゃ、どーでもいい普段着と海外ブランド物のバックをあわせてその辺をフラフラできないと思います。


しっかし、ネットすごいぞ派といやそんなに持ち上げんなよ派の「集合知」に関する議論はかみ合いませんねぇ。原因は、すごいぞ派が話をかなり膨らまして語るからでしょう。ネットの集合知って、間違いなくあるんだけど、大げさに言い過ぎちゃうから「バカ言ってんじゃねぇ、ネットはダークだぜ」っていう反応を呼んでしまう。この手の本を読んでいると、集合知については肯定派と否定派が完全に二分されていて、否定派がもんのすごいパワーで肯定派を叩くという構図ばかり。ちょっと「残念」ですね。(あ、また言っちゃった)


ちなみに、梅田さんによれば「群集の叡智」とは以下のようなもの。的確な表現だと思うし、この書き方に関しては大げさでも膨らましてもいないと思うんだけどね...

「群集の叡智」とは、ネット上の混沌が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば、そういうことも部分的に実現されるだろうが)、「もうひとつの地球」*1に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ、...(後略)
梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』より


ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

*1:同書では、ネット空間のことをこう呼んでいる