まじめに読むとやっぱり文系にはつらい『闘う物理学者!』


歴史に名を残す物理学者たちの "闘い" を、それぞれコンパクトにまとめた『闘う物理学者!』。各人の素顔が垣間見え、また彼・彼女らのライバル、権力からの圧力、苦悩などが描かれている一般人向けの読み物です。ほとんど数式が出てこないので、理系でなくても読める文章になっています。


ただ、文章として読めるということと中身が理解できるということは別。文章自体は平易なので、同書の目的のひとつである「物理学者って、個性的なのです」を文系・理系を問わず多くの読者へ伝えることは十分に達成しているのですが、私からするとそこに書かれている内容はちょっと "省略されて" いるものが多く、理系でないとすんなりと読み進められないんじゃないかと心配します。たとえば、「場」、「量子」、「波」、「ポテンシャル」といった、文系の方にはあまりなじみのない言葉が結構出てきます。しかもそれらの説明が不十分。砕けた言い回しでそれっぽく解説を加えているところも少なくないのですが、何と言うか、わかっている人にはすっと頭に入っていける流れであっても、前提知識がない人にとっては「え、どして?」と感じてしまう "説明の飛躍" が散見されるのです。読みやすい文章で、コンセプトもとってもよい本なのに、ちょっと惜しい。


たとえば、「波と粒子の両方の性質を持つ量子」の説明の箇所。2つのスリットを通り抜けた「波」は干渉によってグラデーションの像を結ぶ、というような説明なのですが、"波が像を結ぶ" っていうのは一般にはイメージしづらいんじゃないかなあ。一回でも実験を見ていれば「ふーん」と思えるのかもしれないけど、あの絵を初めて見せられて「波です」と言われたらまず普通は水の波を想像するわけで、その水の波がどこぞの壁に絵を描くと言われた瞬間に「うーん」となるんじゃないかと。であればここはまず、「光」での例えだと一言断っておくだけで、印象はだいぶ違うはずです。この実験はあらゆる物理の教科書に出てくる光の波動性を示す有名なものですが、同書では「光」と限定せず、「波」として説明しています。対象物を限定したほうが話としてはシンプルになるのに、一般用語の「波」として説明してしまっているのでかえって話をわからなくしている。著者は光を(も)イメージして書いていたと思うのですが、文章のどこにも「光」という単語が出てこないのです。


上述のスリット実験のくだりは「アインシュタイン vs ボーア」の章で出てきます。この章の内容は、物理好きでない人に物理へ興味を持ってもらうためには格好のテーマだったのですが、残念ながら説明の飛躍が最も多く見られる章でした。


私たちもよく、IT用語や技術に関する説明の言い回しで一般的にはわかりづらいものを気付かずに使ってしまうことがあります。「...をベースとして」...ん?ベースって何だ? 「...のプラットフォームです」え? 「デフォルトで...」はい? 決して正確な意味を理解いただく必要はないのだけれど、専門でない人に思考の飛躍を求めない文を心がけなければ、、、と私自身も日々努力と失敗を積み重ねています。


ということで、この本が文系の方*1にも理解できる書かと言うと、私はそうは思いません。いきなり「コイルは微小なので、コイルの内側の磁場は無視できる」などと書かれても意味不明かと。。。


ただ、素材は良いし、読み物として面白いということも事実です。(でも装丁がちょっと立派過ぎるかな。多くの人に読んでもらうために、新書などにしても良かったと思います)


闘う物理学者! 天才たちの華麗なる喧嘩

闘う物理学者! 天才たちの華麗なる喧嘩

(追記: 私による「受験物理のすすめ」はこちら)

*1:文系と言っても国立大学にいらっしゃる文系の方々は別ですよ。受験で理系をしっかり勉強なさってますから