ケータイの日本流デザイン革新


au design project から「actface」というコンセプトモデルが発表されています。「電話をかける・受ける」という携帯の本来の目的を忘れてしまうくらい触っていること・使っていることが楽しく、気持ちいい携帯電話*1をコンセプトとした二つのモデルが「actface」の成果物。

これらのケータイがどういったものであるかは YouTube の動画を見ればわかるのですが、私が興味を持ったのは機器そのものというより、コンセプトについて語った作り手のインタビュー (http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0708/03/news103.html)。


iPhoneのようなインタフェースの革新は西洋的で、目的のために最適化されている」とは、「actface」を作ったチームラボ代表・猪子寿之氏の弁。iPhone に否定的なことが言いたかったのではないのだけれど、iPhone がやっていることを "西洋的" と上手に表現し、日本人として何ができるのか、を考えているさまが伝わってきます。

コンセプトにある「操作するために必要だったインターフェイスから、触っていることそのものが気持ちいいインターフェイスへ」を実現するべく用意されたのが上述の二つのインターフェイスなのですが、上述の iPhone 評から通ずる「日本独特の文化と西洋の文脈にもある合理的に使いやすいというものが同居するようなインタフェースを作りたかった」という思いは、たとえば『前面タッチパネルを採用しているのだけれど、ボタンは残した』という点に表現されています。


折りたたみ式携帯の「actface」は、開いた状態が全面液晶*2。タッチパネルが装備されているにもかかわらず、一般的なケータイのボタンに相当する突起が液晶タッチパネルを覆うように備わっています。ボタンを残したことについての猪子氏のせりふも面白い。「今の若い女の子は、ボタンを見なくてもすごく速く打ててしまう。何年もケータイを使っていて身体的に指がキー配置を覚えているのに、タッチパネルになってこの操作感を失うのはもったいないと思いました」-- ボタンを残すという決断、(日本向けには) スーパーです。


何かと iPhone と比較されてしまうその他大勢の携帯電話たちですが、私は今でも iPhone を携帯電話と呼ぶことについて違和感があります。うまく言えないのですが、欧米人にとっては携帯でも、果たして日本人にとってあれは携帯なのだろうか、という疑問が消えません。au design project や今回の「actface」なども、メディアで取り上げられるときは「対 iPhone」的な取り上げられ方をしますが、コンセプトをきちんと持ちこだわりを持って形にすることを忘れなければ、ケータイにおける日本流のデザイン革新は実現していくだろうと思います。
むしろ課題はデバイスのデザインの方ではなく、通信料もっと安くならないのかとか、市場をオープンに*3してくれとか、そっちじゃないかと。

*1:うがった見方をすれば、携帯を使っている時間が長くなればなるほどキャリア側の儲けに直接的・間接的につながってくるわけですが...(笑)

*2:背面も液晶で、合計三面液晶

*3:通信規格含む