受験物理のすすめ

私は小さなころから理屈っぽいと親からチクチク言われていました。「論理的だ」ではなく「理屈っぽい」と言われていたということは、要するに屁理屈が多かったんだと思います。私見では、論理的であることと屁理屈であることは正反対な性質だと考えているのですが、他人に屁理屈と思わせてしまう理屈は論理的ではないのではないか、というのがその理由です。


論理的≠屁理屈の真偽はともかく、今の自分は子どものころと比べてだいぶ論理的になったなあと思っているのですが、それには明確なきっかけというか理由があると考えています。それは、「受験物理」。


私の出身高校*1も第三学年になると一応理系・文系のクラス編成を取るのですが、理系の私が一番苦手だったのは物理。とにかく嫌いだった。ところが浪人時代にこの物理嫌いが 180 度反対を向きます。それは、物理ほど覚えなくてはいけない項目が少ない科目はない、ということに気付いたからです。正確には「気付いた」のではなく「気付かされた」*2のですが。


物理では、知っておかなくてはいけない公式のようなものは非常に少なく、いかに目の前の事象 (受験においてその多くは試験問題という形で眼前に現れる) を "表現する" かがその本質です。私の感じる受験物理の醍醐味は、ひとつの事象をまったく異なる視点から追いかけていって、それらをイコールで結ぶことによって方程式が完成するという、問題解法プロセスそのものにあります。すべては論理的に組み上げていかなくてはいけません。しかし、ここが重要なのですが、物事を解決する (試験問題を解く) には複数の通り道があり得るが、正しく論理的にその道をたどっていけば必ずどこかで交わるということです。現実社会においては「正しい答え」など神様にしか見えていないと思うのですが、ほとんどの試験問題においては答えがあります。その答えを目指して、複数のパスをたどって方程式を導き出すことを通じて、論理的に考えることを体で覚え、かつ、そうすることのみが正しい答えに到達するための道なんだという感覚が自分の中で芽生えたのかもしれません。いま現実社会には「正しい答えはない」と書きましたが、そういう態度で物事に臨むことによって、現実社会での正しい答えに近づくことはできると思います。


これ以外にも、受験物理を通じて「本質を見る」という習慣もついたと思っています。物理というものがそもそも物の理を探求する学問ですから。


...なあんて偉そうなことを書いてきましたが、大学に入ってこれが挫折しちゃうんですね。矛盾していると思われるかもしれませんが、私は数学がとても苦手だったのです。(笑) 大学の物理は、私から見ると数学に近すぎて、どうも興味も持てなかったし上手に立ち向かえませんでした。このエントリーのタイトルにあえて「受験」と付け加えたのは、そんな背景があります。


私は詰め込み型の日本の受験は大嫌いですが、唯一、受験物理だけはすべての人々へおすすめします。他の科目とは明らかに性質が異なります。繰り返します、学問としての物理ではなく、受験物理、です。*3

*1:今年度から「エンカレッジスクール」の指定を受けまして、一般的な高校へなかなか適応できない高校生にもしっかり教育を受けさせよう、という学校になりました。たとえば、入学試験(学力試験)がなかったり、授業時間が短かったり、定期試験もなかったり、など。エンカレッジスクールについてくわしくはこちら

*2:浪人時代に通っていた駿台予備校の坂間、山本両先生に文字通り開眼させられました。今思うと、お二人とも『ドラゴン桜』ばりに個性的な先生だったなあ(笑)

*3:学問としての物理がダメだって言ってるわけではないので、念のため。ぼくには向かなかったけど(笑)