評論と感想のあいだに


風立ちぬを観て日ごろの行いを見つめ直してみましょうなんて考えるぼくのような人間がいるかと思えば、岡田斗司夫さんのように宮崎駿監督の脳内を見通して戦慄覚える人もいる。

『風立ちぬ』は鏡 - it's a small market
【レポート】『風立ちぬ』は宮崎駿の作家性が強い「残酷で恐ろしくて美しい映画」 - 岡田斗司夫なう。


岡田さんのインタビュー記事を読んじゃうと、何だか自分がとっても浅い人間に思えてきて悲しくなったりもするのですが、これは評論なのか感想なのかという、芸術作品への向かい方の違いもあるのかなと思ったり。


岡田さんの評論はどこをとっても説得力があるので、作品の分析としてはきっと正しいんだよね。宮崎監督も、くやしいけど結構当たってるよ、って思ってるんじゃないかしら。ほんと、ここまで深く見通すことができるのって、すごいなあと正直に思います。


ただですね、あの映画観て泣いてる人のことはどうか放っておいていただければなと。泣いてる人に違和感感じたなんて言わないでくださいって。わかってて泣いてるならそりゃ違和感でしょうけれど、気付かずに素直に泣いてる人はそっとしてやってください。


評論や解説は、作品の楽しみ方を広げるために、あるいは作品をもっと知りたいという欲求を満たしてくれるものとして、貴重な材料です。気に入った作品、気になった作品は、いろんな人の視点や分析を読むのがとても楽しいです。今回の岡田評もすごく驚かされたしある種の感動を覚えました。ただ、作品に描かれていることの「正しさ」をどのあたりまで追求するかは人それぞれだし作品によっても違うので、そこまで踏み込むのは控えていただけないものか、と思いました。


映画の解釈には正誤があるかもしれないけど、映画の楽しみ方に正しいも間違ってるもないと思うから。