『包帯クラブ』について


愛ってなんだろう、思いやりってなんだろう、ってことを語りだすと (酔ったときは特にだが) ついつい説教調になってしまいます。でも、そんな説教より一本の映画。
さて、世の中があまりにもジコチューに過ぎる今日この頃、映画『包帯クラブ』を観てピュアに泣ける人はこの日本にどれくらいいるのだろうか。


天童荒太の同名小説をもとに堤幸彦監督が映像化した『包帯クラブ』が公開されたのは2007年。以前、ラジオのインタビュー番組で天童氏が同小説および映画について語っている*1のをたまたま耳にし、チャンスがあればDVD借りてきて観ようと思っていたのですが、先日ようやく鑑賞のチャンスを得ることができました。先に原作を読んでいたのでストーリーは頭に入っていましたが、映像って、上手に作れば原作の持つメッセージをよりストレートにあるいは強力に観る者へ伝えることができるのだな、という感想を持ちました。実際、原作者の天童氏もこの映画にはいい意味でのショックを受けていたようでした。


包帯クラブ』は、高校生が主役の青春映画という形態をとっていますが、年齢に関係なく強いメッセージを伝えてきます。恋愛ものが苦手な方 (私がそうなのですが) のために言っておくと、恋愛の要素は表面的にはほとんどないので安心してご覧いただけます。(笑)


ひとりの変わり者のアイデアから生まれた、「他人の "心の傷が残る場所" へ包帯を巻く」という活動を通じて、他人の痛みを感じる大切さ、他人を癒すことで自分の心も軽くなること、生きることに真剣になるということの大事さ、といったことに登場人物たちが自然に気付いていく話、それが『包帯クラブ』です。小説の冒頭にも、映画のナレーションにもあるのですが、自分の大切なものを守るために「戦わずして解決する」ことの意味を訴える内容であり、非常に貴重な物語だと言えます。もちろん、戦いで物事が解決することもあるのですが、なにかこう、世の中が自己中心的になり、正義はどっちだ、みたいな、他人の痛みより自分の思いが先に立って物事を片付けてはいないだろうか、ということを、一歩立ち止まって考えてみる、そういうことを気付かせてくれる物語であると思います。


インターネットを中心とする新たなコミュニケーション方法が発達し、個人と個人がネットワークを通じて直結することによって「個 ( = 自己)」がこれまで以上に強くなっていく現代、あるいは、(とくに日本において顕著ですが) 匿名性の誤った使い方によって他人の痛みに鈍感になっていくこんな時代に、人間として忘れてはいけない「愛」、「思いやり」をまじめにメッセージする秀作です。

*1:余談ですが、ラジオを聞いていて思ったのは、まるで原稿を読んでいるかのように話すひとだなあ、ということでした。「原稿を読む」と言いましたが、彼は原稿を棒読みしてるんじゃなくて、ひたすら語り口に無駄がなく言葉の順序がきっちりしており言い直しがあまりないのです。これにはたいそう驚きました。なんと言うか、思考と文字が直結しているめずらしいタイプの方のようで、物書き向きなんだなあ、と思いました