BACK TO 1975 - ゲイツ氏の引退に寄せて


Microsoftビル・ゲイツ氏の「引退」が、淡々と報じられています。これまで彼は段階的に第一線から後退してきたし、今回の「引退」の時期も既知であったことから何かがこの瞬間に劇的に変化するという話でもないようで、事態は冷静に受け止められているといった印象です。


私が社会人デビューをした91年当時、MicrosoftはすでにOSベンダーとして強固な地位を築いていました。もちろん、そのころの主流はWindowsではなく、MS-DOSです。WindowsはまだAppleMacintoshの模倣品であり機能も低く、パソコンによるネットワーク(LAN)も黎明期といったところでした。いまでこそMicrosoft Officeというスイート製品(Word, Excel, PowerPoint,..)がデスクトップ・アプリケーションの標準として認知されていますが、当時は様々なソフトウェアベンダーがしのぎを削っており、たとえばワープロ一太郎(ジャストシステム)、表計算は1-2-3(Lotus)だね、なんていう組み合わせは普通*1でした。


OSの圧倒的なシェアを後ろ盾にした強引なバンドル販売や、競合排除のためには手段を選ばないともとれる傍若無人さに、私は同社とゲイツ氏に嫌悪感を持っていました。がその一方で、決して革命的といえる製品や機能を持っていなかったとしても、そして、たとえそれが(Windowsのように)物まねから始めた製品であったとしても、ユーザー心をくすぐる度重なる改善を通じて利用者にとって「良いと思えるもの」を作り上げていくモノづくりの姿勢には感心する部分も持っていました。


ゲイツ氏は技術者であるときとビジネス人であるときと、その振る舞いが違っていたように思えます。上述のように革新的ではなかったかもしれないけれど、とにかく良いと思ったものは真似といわれようがなんだろうが形にしてしまい、それを全力で改善・進化させることに情熱を注ぐ、ある意味攻めの姿勢を見せる技術者魂には共感できるものがあります。一方ビジネスの視点からは、彼は常に「明日はつぶされているかもしれない」というような不安や恐怖と戦い、「身を守ることならなんでもする」的に振舞った過激な保守姿勢が、幾多の排除行為につながったのではないか、と想像しています。


彼の後任とされている人々*2も、年齢的にはあまり代わり映えしない面々。競合他社に目を移しても、AppleOracleも同世代のリーダーが引っ張っている状況。ゲイツ氏の引退は淡々としたものだったかもしれませんが、実はそれは、現在の「パソコン時代」を作り上げた重鎮たちが退き、90年代以降の「ネット時代」へ人的バトンがゆるやかに渡っていく、そんな動きへのゴーサインなのかもしれません。

*1:これが高じて「HARMONY」なんていう異種混合パッケージが発売されていたりしました

*2:われらが「ノーツの父」レイ・オジー氏もそのひとりですが