朝の時間の使い方(地下鉄ホーム編)


やや早めの通勤時間帯、とある地下鉄のホームで毎日毎日同じ場所、同じ姿勢、同じ服で寝ている男性がいます。かがんでいるので顔が見えず年齢はわかりませんが頭髪の白さからして五十代より下ということはないでしょう。冒頭の写真のベンチがまさに現場です。


とにかく毎朝同じなのです。


ところがある朝、彼の姿がいつものベンチに見あたりません。次の日も、また次の日も彼はそこにいませんでした。どうしたんだろう…、などと考えてみても仕方ありません。彼には、そこにいる理由がなくなったか、あるいは、そこにいられなくなったかのどちらかでしかないのですから。


ふと同じホームの別なベンチへ目を移すと、座ってる人が結構多いことに気付きました。通勤時間帯といえばみな慌ただしくせっかちに移動を続けるものですが、そういった「ベンチに座る人々」の周りだけは時間の流れが緩やかに感じられます。体調がすぐれず休んでいると見られる方もいますが、明らかに自分の時間を過ごしている人の多いこと!


寝ている人はむしろ少数派で、熱心にスマホをいじっているサラリーマン体の人、彼はニュースでも読んでるんでしょうか、会社のメールを確認してるんでしょうか、いや、ゲームかも。スポーツ紙や何かの書類に目を通す人もいます、本を読んでる人もいます。イヤホンをしてじっと正面を見ている男性、うーんこれはただ音楽を聴いているのではないな、英語学習でもしてるのかしら。


この時間の使い方って、何なんだろう?


自宅でもなくカフェでもなくオフィスでもない、ほとんどの人が通り過ぎるだけの駅のホームをあえて選んで朝のひと時を送る人々。どんな思いで、なぜそこなのか、なんてことを考え始めたら楽しくなってきました。