若者と大人、ファッション感性の違いはどこから? (渋谷 109 編)


中学一年の娘が渋谷デビューしたいと言うので*1、日曜の渋谷へ繰り出しました。車は東急本店の地下に停め、家族四人で徒歩で 109 へ。よく考えたら、若いころは毎週のように渋谷へ遊びに来ていたけれど 109 へは入ったことなかったな。ま、ヤローには関係ないから入る理由もないが。


初めて入る 109 の店々で売られているものはどれひとつとして私がその美的価値を理解できませんでした。世代の差といえばそれまでですが、女同士でショッピングする母娘を店の前で待つ間、この違和感について少し考えてみました。ここに並んでいるものになぜ違和感を感じるのか?


ここに集まるティーンエイジャーは、「お金の使い方を覚えたところ」の世代であると言えます。アルバイトで収入を得ている者も多いかもしれないけれど、彼女らはお金を使うことに慣れているわけではなく、また、基本的に使える金額は限られているので、お金で買えるものに対して直接的でわかりやすい (目に訴える) 類の付加価値を求めるのではないだろうか。店先に並ぶ服や装飾品は、コーディネイトや抑揚といったものからはやや距離があり、各々単独なアイテムとしての主張が強く、私の感性からは表現がストレートに過ぎるものが大半です。またここでは、ファッションは基本的に「追加」(自分自身に対しての追加という側面と、アイテム同士の関係どちらの意味もあります) していくものとして捉えられてるとも思います。一方、より年齢層が高めの百貨店 --車を停めた東急本店はちょっと極端なので、まあ丸井あたりでもよいでしょう-- の場合、もちろん中には直球勝負の店もありますが、当然ながら落ち着いた服を好む客向けの落ち着いた店も多くあります。


年齢を重ね、お金の使い方を覚え、さらにお金と自分の距離感が出来上がってくる (ファッション以外への出費が増えてくる) と、ファッションへの投資は「使うわないひと」と「使うひと」に二極化してくると考えています。後者の人々は、全出費の中でファッションへの相対価値を高く感じており、また吟味してお金を使うようになります。吟味の中で、単に「追加する」という発想から、「削る」ことや「全体でのバランスを重視する」という視点が生まれ、着飾ることは追加することばかりではないという考えが根付いてくるのではないか。ティーン向けのファッションにシンプルなものが少ないのは、この視点がまだ育まれていないからではないか、と思うのです。お金を使うことが未成熟なうちは、投資対象としてのファッションは「追加的」に「飾る」ことが最優先なのかもしれない、と。ま、これ、まったくの個人的見解ですが。


しかし、109 店内のごちゃごちゃ感は、「ドン・キホーテ ファッション感」と呼びたくなるような密度ですなあ。

*1:実際には、実家へ行った帰り道「109というところで服を見たい」と言ったのだが