卒業式の棒読みと歪む家庭環境

saitokoichi2007-03-23



今日、娘の卒業式に出席してきました。昨晩までは、本番で泣いてしまうのではないかと思っていたのですが、そのようなことにはなりませんでした。


しかし、どうして卒業式というものはああも退屈なのでしょう。まず祝辞が多い。しかも用意した原稿を棒読みするだけの方が大半で、また内容自体もどこかで聞いたような言い回しが多く、何人も出てくるとそのうちフレーズがだぶっちゃうのでないかとこちらがヒヤヒヤするくらい。入学式や卒号式といった式典がある程度は形式的なものであるということは理解できても、校長以外に教育委員会、市長、PTA、中学校代表、、と次々と出てくるので正直飽きてしまいます。うーん、まあこうやって並べてあらためて見てみると仕方ない(省略するわけにはいかない)メンバーかなあ。でもそれにしたって、ハートのあるスピーチをお願いしたいところ。


そういえば、私の住むさいたま市では来年度から「ノーテレビ・ノーゲームデー」を導入するそうです。テレビの見すぎ、ゲームやりすぎを減らす運動のことで、左記リンク記事によれば『生活習慣を見直し、家族のだんらんを持ってもらうのが狙い』だそうです。このエントリーを書いている時点でさいたま市のホームページには今回の発表についてなんら記載がないので確かなことは言えませんが、もしこれが「家族のだんらんを増やす」ことが目的だとしたら、そういう無意味で表面的な考えはあらためるべきでしょう。もっとも、テレビやゲームの影響で子どもの睡眠時間が短くなっているというのは事実だと思うので、「生活習慣を見直す」ためにはちょっとは役立つかもしれません。


最近、朝食をとらない子どもが多いから学校で朝食を出すとか、給食費不払い対応で苦労の耐えない学校の話などがよく報道されますが、家庭環境どうかしちゃってますね。社会背景として国や自治体に課題があるであろうことももちろんですが、それぞれの親が親としての義務を果たせてないことも大きな問題です。