テクノロジーは生活を豊かにする

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『台湾の「38歳」デジタル大臣から見た日本の弱点』という記事が示唆に満ちていたのでメモ。

news.livedoor.com

 ぼくのツイッターのプロフィールには、アカウント作成当初(2007年)からずっと「明日を興奮する力、変化と破壊を楽しむ心。テクノロジーが生活を豊かにすると信ずる」と書いてあります。明日という日が来ることに興奮を覚えるような今日を送ろうということと、変化をおそれずに生きていこうという姿勢を表すとともに、テクノロジーはぼくらの生活を豊かにしてくれるはずだという期待が込められています。

 

上記で引用した台湾のデジタル大臣の記事には、ネットに代表されるデジタル世界とリアル世界の融合のあり方やその進歩性について簡単にではありますがいくつかの角度から大臣のコメントが記載されています。ネットが世界をフラットにする、と言われて久しいですが、フラットな世界でいままでとは違うコミュニケーション方法の確立や情報/データとの付き合い方は大いに変わってきており、ぼくのような年寄りとデジタルネイティブの生活形態や思考回路との間には溝ができています。ただ、その溝を埋めるのもテクノロジーの助けが必要であり、そのためにテクノロジーを活用するのは人間の仕事です。

 

日本では(日本に限らないのかもしれませんが)、どうしても何か新しいものを「教育する」ところの考え方がズレているように感じてなりません。たとえば、プログラミング教育を例にとってデジタル大臣が語っている一節を引用します。

 

プログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。

 

英語教育もプログラミング教育も同じこと、なわけです。

 

そのうえで、テクノロジーが人間を引っ張っていくのではなく、テクノロジーの恩恵を人間が受けらるように、つまり、「使えるように」するのは人間の重要な役割です。テクノロジーはそのような人間の要求に対して柔軟にこたえてくれますが、柔軟でないのは人間の方なのである、というが残念なところです。少子高齢化が進む日本だからこそ、その柔軟性が人間の側に求められているのですね。