出口はどこかにあると思いたい


毎日の通勤でね、JRを使っているわけだけどね、駅のそこかしこにある案内板にはさ、日本語のすぐ横にね、中文とかハングル文字がね、添えられているのがね、目に留まるわけですよ。


そんな案内板を見るたびに、どうしようもなく悲しい気持ち、残念な気持ちになるんです。とくに、ロンドンオンピックのあたりからかな。


現代ではこのような案内板はコンピュータでデザインし機械によって「印刷」されるわけだけど、今が、案内板を人間が手で書いているような時代だったなら、筆を下した人はどんな気持ちで昨今の「対立」を見るのだろうか。