ソーシャルネットワークと沈黙


ローマ法王が「沈黙の大切さ」に言及したとか。検索エンジンソーシャルネットワークを多用する現代人に向けて "安易に答えを求める現代の風潮をいさめ、黙考の大切さを説いた" そうだ。

法王「沈黙を大切に」 検索サイトやSNS依存に警鐘朝日新聞デジタル
インターネットで答えを探したり、自ら発信したりするばかりでなく、より深く理解し合うために「沈黙」を大切にしよう――。ローマ法王ベネディクト16世が、安易に答えを求める現代の風潮をいさめ、黙考の大切さを説いた。――


記事によれば、ソーシャルネットワークなどの「うわべだけの意見交換」に人間同士のコミュニケーションが寄ってしまうことに警鐘を鳴らす法王の発言とのことですが、わかる気もするしわからん気もするし、という印象を持ちました。


たしかに、いつでもどこでも友人と気軽につながることができるソーシャルネットワークの存在によって日常的なコミュニケーションの質が薄まったという側面があることは事実です。ソーシャルネットワークで他者とつながることは、「実際に会って会話すること」や「(紙の)手紙を書くこと」などと比べて圧倒的に手軽ですから、"ソーシャルネット以前" のコミュニケーションのありようを大切に思う気持ちが日常会話の中では薄れていくことを否定はできません。(もちろん、こういった問題はソーシャルネットワークがはじめてもたらしたものではなく、ネットやメールの普及によって徐々に顕在化し、広がってきたものではありますが。)


でも、そういった「うわべだけの意見交換」が日常化すればするほど、逆に、言葉以外のコミュニケーションやそれこそ法王のおっしゃる「沈黙による意思伝達」の意味を再発見できるのが人間じゃないのかな、とぼくは勝手に思っています。軽いコミュニケーションと太いコミュニケーションがどちらも発達していくというか。


さしたる根拠もなく、ただ感覚的な意見を述べているにすぎませんが、決して悲観すべき時代じゃないとぼくは考えています。