オクラホマミキサー

前クールの地上波ドラマの中で異彩を放っていたのは『初恋の悪魔』。タイトルがあまりにも凡庸で、かつ、ぼくの苦手な恋愛ものを想起させたのでほとんど期待しないで観はじめたのですが、最初の2、3週こそ話にまとまりがなくてドラマの軸や方向性がつかみづらく、とまどいながら話を追いかけていたものの、週を重ねるごとにストーリーと登場人物のユニークさが滲み出てきてラストに向けての勢いが増していくという絶妙な脚本にすっかり取り込まれてしまいました。調べたら、『カルテット』や『大豆田とわ子』の脚本家さんですね。なんとなく納得。俳優陣も個性的な方々が多く(仲野太賀、柄本佑林遣都松岡茉優安田顕伊藤英明)、前記したようにそれが序盤はバラバラだったものが徐々に結びついて一体感が出てくるのが不思議です。役者の力も大きいですね。

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その『初恋の悪魔』のとあるシーンで、小学校の校庭で生徒たちがフォークダンスを踊っている光景が出てきました。バックに流れる曲はもちろん『オクラホマミキサーオクラホマミクサー)』。いや、より正確には、オクラホマミキサーはダンスの名称であり、かの有名な、少なくともぼくらの世代なら必ず知っているあの♪チャラ-タララララ、チャラチャララララ…♪という曲のタイトルは『藁の中の七面鳥』なのである、とWikipediaに説明がありましたが、まあそんなことはどうでもよろしい、ここで話題にしたいのは、小中学生が何かと踊らされるあのフォークダンスってのは、一体誰が何のために子供たちにやらせようってことになったんですかね、という質問とも問題的ともとれるお題。

多感な時期に異性と手を取り合って、しかも、ワンコーラス終えるたびに相手を変えながら曲が終わるまで踊り続けるという学校行事は、もしかしたら意中の人と触れ合えるチャンス!と期待に胸躍る生徒には喜ばれる場かもしれませんが、そういう期待とは無縁の(たとえばクラス構成的に意中の人と躍るチャンスなどないとか)子供たちからすると、苦痛とまでは言わないものの、気恥ずかしいやら緊張するやら、とても楽しめたものではありません。少なくともぼくは、フォークダンスやってよかったなという記憶はありません。逆に、この人には近寄りたくもないと感じている人とも手を握り数十秒間決められたダンスを踊らなくてはいけない場合だってあり得るわけで、これ、今の時代なら子供向けハラスメントだ!と言い出す人もいるんじゃないかと思います。

 

ですが。です。視点を変えてみましょう。自分が当事者の時は何でこんなこと強要すんだろうと大人の身勝手さを恨んでいたものの今振り返ってみると、まもなく丸3年を迎えようという「人と人とのふれあいを奪うパンデミック」な時代が到来してしまうと、ふれあいというものがどんなに大事なことだったのかを痛感させられたのも事実で、まあ、こういうイベントもあってもいいかな、なんて、あっさり前言撤回してしまったりもします。もちろん、物理的な「ふれあい」だけでなく、それ以上に大切なのは心と心とのふれあいというか、相手を理解しようと努め(別人格なんだから完全に理解できるなんてのは無理。あくまで相手を思いやるという意図でこう書いてます)、支えあいながら生きるという人間のあるべき本性みたいなものに、手段としてのダンスであったり、音楽であったり、映画であったり、スポーツであったり、その他あまたのアートやテクノロジーが人間に授けられた能力であり、それらをうまく使い分けながら、平和で心豊かな世界が作っていけるといいな、などと考えています。『初恋の悪魔』から世界平和を妄想した夜でありました。