別れの涙、再会の涙

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ひとは様々な場面で涙を流します。悲しい時だけでなくうれしい時にも涙するし、何かに感動したり感激したりしても涙腺は崩壊します。現実に起きていることに対して涙を流す場面もありますし、映画やドラマといった他人が描いた筋書きや役者の表現力に涙することもあります。

 

ここでは、一番最後に書いた「作り物」、中でも、自分の中で想像力を働かせる小説・文字を媒介とする涙ではなく、映像(場合によっては音)を通じて流す涙について考えてみます。っていうのも理由は単純で、明日最終回を迎えるNHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』を観て涙を流したからなのです。

 

映画やドラマで人の涙を誘うものに、「大事な人が死ぬ」とか「(おそらく永遠の)別れ」というパターンがあります。これ非常にわかりやすくて、たいていの人は大事な人が死んだりもうこの人とは(会いたくても)会えないんだろうなという場面に出会うととても悲しい気持ちになり、涙がじわじわと湧いてきます。人を泣かすにはこれが一番簡単。泣かされる方も、まんまと作り手の技に屈します。

 

一方、「再開の涙」を呼ぶためには、単に誰かと誰かが久しぶりに会う場面を作っただけでは泣けません。そこに至るプロセスがしっかりと作品中で描けていないと、簡単には涙が出てきません。カムカム…のようにお互いにわだかまりを持ったまま長年離れ離れだった親子の再開などは、別れるきっかけとなった出来事や、別れた後の登場人物の環境の変化、心境の変化を丁寧に綴っていかないと、クライマックスであるはずの「再会」で涙することはないでしょう。そういう意味で、個人的には「別れの涙」より「再会の涙」のほうが深い感動をおぼえますし心に残ります。NHK朝ドラで言えば『ごちそうさん』最終回での夫婦の再会には号泣しましたし、『ショーシャンクの空に』での元囚人同士の再会や、ちょっと古いですが『カラーパープル』での姉妹の再会(とその時のウーピー・ゴールドバーグの満面の笑み)に涙腺が崩壊しまくりました。『インターステラー』での宇宙や時空を超えた親子の再会にも大粒の涙を流しました。

 

人の死を描いた作品を軽視しているわけでは決してないのですが、再会の涙はより複雑で多くの感情の行き来が頭や胸の中を駆け抜けた先にあるものではないか、だから「作り物」での再会で人を泣かすのは非常に難しいことなんだろうな、と勝手に考えている次第です。