Facebookに本音は書けない


ツイッターは不特定多数への情報発信と収集、Facebookは知人とのコミュニケーションの場、と自分の中では区別していたので、自分の本音はFacebookで書くべきなのかなと漠然と思っていたのですが、あるときその考え方はむしろ逆なのではないかと考えるようになりました。そんなの常識だろ、、、と言う方もいらっしゃると思いますが、ツイッターFacebookどちらが本音を書きやすいかと問われたら、ツイッターではないだろうとごく最近までは考えていたのです。おっと、ひとつ大事なことを。私はツイッターも実名でやってます。


本音や意見をはっきり述べるのって、別な考え方を持つ人から見ると場合によっては自分(の意見や嗜好)を否定されたかのように感じる時があります。1対1の対話の中であれば相手の考えを汲み取りつつカドが立たないよう努めたり言い回しに工夫したりもできますが、知人が大半だとしても特定の誰かと会話しているわけではない(特定多数って言うのかな)Facebookにおいて「わたしはこう思う。こういう考えは間違ってると思う」と断言してしまうと、反対の立場をとる知人からすると「自分がフォローしていることを承知でこういうこと書いてんだな。イラッ」と思うかもしれません。発言した側は特定の知人を想定しての発言ではなかったとしても、また、そのとある知人が自分と反対の立場をとっているかどうか知らなかったとしても、読んだ側はそう感じることもあるんじゃないかなあ、と。


具体的なケースを想定してみます。たとえば、私の知人がFacebook上で「××党すばらしい」と発言したとします。私はその発言を見ずに、たまたま「××党クソだ」と発言したとすれば、それを目にした知人はどう思うかな、と。あるいは「◎◎って、カッコイイ」という知人の発言のあとに私が「◎◎だっせー」と書き込んだら…。自分としてはその知人に対して反対の立場であることを表明したかったわけでもないし彼・彼女を傷つけたかったわけでもなかったのに。


まあ、ツイッターだろうがFacebookだろうが本質的にはどっちも変わらないんじゃないの、という意見が聞こえてくる気がしますが、何というか、人と人との距離感が両者ではだいぶ違うので、どっちだと言われたらツイッターのほうが本音を「書き放ちやすい」かなあ、と感じるわけです。まあ、どーでもいい話だったかな?


たしかにこれ、使う側の感じ方の問題だから、近いとか遠いとかも個人差があって、ツイッターFacebookに私ほど距離の違いを感じない人もいるのだろうし、そういう人にとってはどっちも同じなのかもしれません。でも、ツイッター人口がグワーッと増え知人も多く参入してきた時期が過去にあって、その後活動の軸足をFacebookへ移行してしまいツイッター上ではめっきり見かけなくなった知人を数多く目にしているので、距離感の違いは明確にあるのではないかと思っているのですが。

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