エンドクレジット後に始まる新たな「ともだち」の話 (映画『20世紀少年』をすべて観終わって)


公開から半月余り遅れてようやく『20世紀少年 最終章』を観ることができました。残念ながら、全三作を通じて映画としての密度は最後まで感じることができなかったな、というのが見終わった直後の感想。「相当なお金をかけて作ったテレビドラマ特番」という印象です。
(注: 以下、本人はネタバレしてないつもりで書いていますが、もしそのように感じましたらごめんなさい)


原作が好きだということと監督である堤幸彦さんのファンであるという贔屓目で見れば、第一章よりは二章、そして最終章へと徐々に熟成されている感はあるのですが、原作の荒唐無稽さをそのまま映像にしちゃったわけで、まあそこは制作者側としては意識的にやっている面が強いとは思うのですが、やはりそのやり方だと映画として成立できないのかな。落ち着きやメリハリがないのです。もっと大胆にバサバサ切ってしまって、それぞれのシーンの深みや登場人物の心の動きみたいなものをよりじっくり描いたほうがよかったかもしれません。とは言え、最終章のライブシーンは作品テーマのひとつである「ロック」が画面を埋め尽くし、この作品のラストシーンとしてはいい盛り上げだったと思います。素直に拍手。


しかし何と言っても、エンドクレジット後の「ともだちの真相」のシーン。ここはいいですねえ。結局ともだちは誰だったのか、なぜともだちが生まれたのか、ともだちを生んだのは誰なのか、そしてケンヂはなぜそこへ戻らなければならなかったのか、といった疑問に対する明快な回答と、加えて、作り手の力強いメッセージが非常に短い時間 (10分くらい?) に凝縮されています。原作はここまで描ききれていません*1。こういうのを見ちゃうと、「リング」における貞子を主人公にした作品を誰か作ってくれないかな*2とか、ともだちを主人公にした作品も見てみたいな、などと勝手なことを妄想したりします。


雑感: 佐々木蔵之介神木隆之介、どちらも演技がすっごく光ってたなあ。

*1:浦沢作品の必殺技、「ほわーんと終わっちゃう」

*2:「リング 0」っていうのはその視点の映画だったのかもしれませんが、甘酸っぱさが強調されすぎてかなり偏った内容だった