大出世する人

社会人生活がまだ浅い時期に外資ITへ転職してからあっという間に30年。かつて机を並べていた同僚の中には、後にグイグイ「大出世」していく人たちを何人も見てきましたが、彼/彼女らには、処世術としての表面的なテクニックではない、人としての内面や日々の行動に共通する部分があると感じています。先に言っておくと、こららは必要条件のひとつではあるものの十分条件ではありません。運や偶然も当然、作用します。人生のほとんどは必然の上に成り立っていますが、偶然はないと言い切る人には、そんなことはないよと言いたい。もっとも、その偶然とやらの何割かは「理由がある偶然」ではありますが、運や偶然も成功の重要な要素である、という前提で、必要条件としての出世人の共通点についてぼくが経験したことを以下に述べます。

 

なお、おそらく、ぼくのこの経験談は営業職には当てはまらないと思います。営業職の場合は何を置いても売り上げ目標達成という大きな仕事の柱があり、その成果が出世の大きな要因になるからです。マネジメント能力云々はまた別議論として。

 

さて本題。

 

大出世する人は、意外にも上昇志向を感じさせない仕事の進め方をします。社内政治には無関心で、ただ目の前の仕事を高いクオリティで責任を持ってやり遂げる、そして、粘り強い。黙々と仕事を片付けていきます。その過程において社内外との駆け引きは発生しますが、それは眼前のミッションを成し遂げるために避けて通れない駆け引きであって、自身の昇進や組織の上層部からの視線はまったく気にしません。この仕事のやり方は出世には非効率のように思えるかもしれませんが、ここでテーマとしている「大出世」には、急がば回れ的に後で効いてきます。誠実で良いパフォーマンスをしていれば人は見ているもの、とはよく言いますが、これ、ぼくは事実だと思います。部長、本部長クラスまでは行けたとして、CxOレベルの最高責任者となる人は、直接的なアピールではなく、その人の日々の行動や成果を出すに至る過程についての記憶が周りの人の意識と無意識の両面に蓄積されていき、結果としてある日、大出世への扉が開きます。そういう人を何人も見ています。

 

また、大出世する人は、挫折することもあります。出世という尺度から見れば降格という厳しい評価を下されてしまうこともありますが、それでもその人は腐ることなく、焦ることなく、自分を信じて愚直に仕事に取り組み、着々と成果を出していきます。一時的に下された評価に引きずられることなく、急がば回れを実行し続けます。そこにはある種の信念のようなものがあるのかもしれません。信念は他人から与えられるのもではなく、自分を信じて最善と思われる行動を取り続ける、自分自身の問題です。

 

もちろん、大出世したすべての人がここに書いたような行動をとってきた人ではありません。真逆の言動をしていても組織のトップに立っている人は多くいます。ただ、出世の定義って何?を突き詰めていくと、ぼくは、自ら突き抜けてきた人ではなく、上や横や下から引っ張られたり押し上げられたりして、グイっと力強く浮き上がって来ることを指す言葉なのではないか、と勝手に解釈しています。つまり、出世は目指すものではなく、結果なのだと。「階段」という言葉で表される一般的に受け入れられている出世という、道のりやゴールのようなものを目指すこと自体は、人の価値観は人それぞれですので、他人に迷惑をかけない範囲においては自由ですが、大出世したひとの一部からぼくが感じ取ったものは、上で述べたような、誠実さと愚直さに裏打ちされた真の人間性とビジネスパフォーマンスを両立させた人にこそ与えらえるべき称号なのかな、と考えています。

 

大出世できない人間が大出世した人をどう見ているか、というお話でした。