妄想のススメ~『妄想する頭 思考する手』

f:id:saitokoichi:20210503081154p:plain

それが生み出されたときは何の役に立つのか本人にもわからなかった技術が後に斬新で先進的だったと評価される発明をいくつも世に送り出してきた著者による、妄想のススメ。な本です。

 

東大大学院の教授でありソニーコンピュータサイエンス研究所で副所長を務める著者・暦本純一氏の代表的発明は「スマートスキン」。スマホで2本の指を使ってズームイン・アウトするあの仕掛け(ピンチング)は暦本氏が2001年に論文としてまとめ、iPhoneが生まれる何年も前に発明された技術です。

 

著者が妄想を勧める背景にあるのは、社会や組織ひいては個人にとっても、物事への取り組み方に「真面目」に立ち向かう方法と「非真面目(不真面目ではない)」な態度で対峙していく両方が必要だ、という信念があります。真面目な対応とは、「課題解決型」のアプローチのことを指していて、ほとんどの社会や組織が採用する "良い方法" です。これはこれで必要なんだけれども、このような思考は「未来は予測可能である」という前提に立っており、ここからは革新的でイノベーティブな結論は導かれないと言います。いわば「想像」の範囲での思考にとどまるという指摘です。一方で「非真面目」な態度がまさに「妄想する」姿勢のことで、こちらは課題設定をしてその解決を探るというアプローチではなく、自分がやりたいこと、面白いと思うことを起点として、その妄想を技術という「思考する手」で実現化していくことを指しており、予測不可能なことが増大し続ける現代においてはとりわけ重要な「突飛で一見わけのわからない、何に役立つのかがはっきりしない」アイデアや発明につながる、と主張します。

 

社会や組織からすれば、何の役に立つのかがはっきりしないアイデアを実現化していくことよりも目の前に見えている課題を解決する手法の方が取り組みの姿勢としては理にかなっており、「妄想型」に資源を投入していくことは確率論的に考えても効率が悪いと考えるのが自然でしょう。著者の属する研究所のような組織であれば「妄想型」の中から素晴らしいアイデアが生まれそれが実現化されていくことに意義がありますが、一般企業ではそんな余裕はない、、、と考えてしまうのが普通だと思います。ですが、著者が主張するのは、"非真面目な" 妄想に基づいたアイデアの実現化を目指すという姿勢を、従来の "真面目な" 想像に基づいた組織の中に、そして個人の中に一部でいいから持つべきだ、という点です。どちらが良い悪いではなく、予測不可能な時代には妄想の実現化が新しい道を切り拓くカギとなる姿勢である、ということです。社会や組織にはそんな「妄想」への寛容さが求められる、と著者は力説します。と同時に、残念ながら今の日本社会はこの寛容性を欠いており、世界的に見て技術革新がどんどん後退していっている、と警鐘を鳴らしています。

 

著者は今、脳をインターネットを通じて「コネクト」して人間の能力を拡張していく "IoA"(Internet of Abilities)を提唱し、ぼくらからするとまるでSFの世界のようなことを妄想しているそうです。いや、妄想ではなく、実際に研究として取り組んでいる、という表現の方が適切です。実際、SF作品をこよなく愛し、研究室にはドラえもん全巻を取り揃えているという著者は、予測不能な未来に役立つ技術のために日々妄想し思考する手によって一つ一つの革新的アイデアを形あるものにしていくことを続けています。その過程となる「妄想的思考法」「妄想を形にしていくプロセス」を自身の経験に基づいてつまびらかにしてくれているのが本書です。90年代にすでに現在のVRの基本となるヘッドマウントディスプレイをソニーで商品化までこぎつけていた(これはちょっと時代を先取りしすぎていた?)「妄想」の実現法を学んでおくこと、そしてそれを実践していくことは、課題解決志向が是とされがちな社会においても重要な考え方、素養である、である、と思えてくる、そんな本が本書『妄想する頭 思考する手』です。