クルマとデジタルの相性

自律走行車が街をうろつく時代となり、自動車はもはや(人間が)ソフトで制御するメカですらなく、ソフトがタイヤ履いて走ってるようなものだな、とは13年ぶりに車を買い換えた自分の率直な感想です。


運転している最中も、自分がクルマを操っているというよりはこちらが出した指示通りにクルマが勝手に走っている感覚に近いです。手足がステアリングやブレーキを通じて地面とつながっていると感じていた以前のクルマと違い、自分と外界とがその間にある「何か」を通じてコンタクトしているかのようです。その「何か」はコンピュータとその上で走るソフトウエア、てなことになるのでしょうが、世界は変化し続けていますねえ、なんて実感。


センサーとソフトが主役の安全装備系は新しい技術が次々と登場してはオプションではなく標準装備化(衝突回避システムなどが良い例)されるスピードが早く、スマホと走行データを同期したり検索結果を転送したりリモートからいろいろ操作できたりと、デジタル化待ったなしの様相。


いうまでもなくクルマには「運転するもの」と「乗って移動するもの」という両側面があるわけですが、世界はゆっくりと、いやここに来て急激に、これらの要素をはっきりと分離する方向へ動いているように思います。前者は徐々に肩身の狭い思いをしついにはサーキットのような専用スペースに追いやられてしまうのかもしれません。


コンピュータ仕掛けともうひとつ、新しいクルマに感じたことがあります。それは、LED。いまやクルマはコンピュータとLEDでできている、と言ってもいいかもしれません。とにかく、中も外もそこらじゅうがLED。LEDの光を「点の集合」として扱うか、はたまた線や面として変化を与えるかに、デザイナーのセンスや考え方の違いが表れます。


前のクルマを購入した2003年、ぼくはひそかに「これが自分が最後に買う純粋なガソリンエンジン車になるかな」と思っていたのですが、今回もガソリン車の購入となりました。ハイブリッドや電気自動車がどれほど売れても内燃機関はまだ健在のようですが、「乗って移動するもの」には表情豊かなエンジンよりも実直なモーターの方が似合います。ぼくはまだ「運転するもの」としてのクルマに愛着があるようです。