議論を交わすから見える、世の中も変わる


高速道路無料化問題でも記者クラブ開放問題でもダム建設中止問題でも、なんでもいい。

  • メディアは、判で押したような単面的な報道をするのではなく、可能な限り公正と思える分析を踏まえて、洞察し、提言をしてほしい。
  • 対立する当事者同士は、目先にとらわれず将来も見据えた上で物事の本質について議論してほしい。それがスタートライン。


一方的な情報では起きていることの実体が見えてこない。議論になって、ある種の喧嘩になってはじめてぼくたちが気付けることもあるし、何が起きているかについて外野も公平な視点に近づくことができる。結果として、ぼくらの中に受け売りでない自分の意見が生まれ、それが健全な世論を形成していく。相手を黙らせるのが議論の目的なのではなく、考えを交わすことによって「正解と思われること」への近道を両者で作り上げていくところに議論の価値がある。


無関心は害だ。変化も進化も無関心からは生まれない。そういう意味では、さきほど使った「外野」という言葉は不適切だった。個々の社会問題において直接的には自分が外野に思えても、それはすべて自分たちの問題であるというスタンスで議論に参加していくのが健全な社会なんだと思う。ネット上のさまざまな道具が、そんな状況を大いに助けてくれている。もっと多くの人々がそれに気付ければと願うばかりだけど、そのためにはそれらの道具は今よりずっとずっと使いやすいものになっていく必要があるね。